無力へむける灯火

 だれも手を差し伸べてはくれなかった。いや、出会ってきただれもが、"塞ぎ込んだ誰かに手を差し伸べて、その手を握り返してもらう方法"を知らなかったのだとおもう。

 

 

 おれは相談ごとを、特定の誰かに対して行うことが苦手だ。心の中のモヤモヤとか、心と体が乖離して空回る状況とか、もう嫌だと逃げたくなる内心を、たいていの場合、身近な誰にも相談せずにやり過ごす。それに失敗したときは、今このようにして、どこか不特定多数に向けた文章などの形にして残す。

 おれが特定の誰かに相談することが苦手なのは、こういった相談事は、相談者側のマイナスな発言に引っ張られて、被相談者側ごと無生産な慰めと同情に引き摺り込まれ、ただ時間を浪費するだけの結果に終わることが多いと実感しているからだ。おれが無遠慮に、内面を曝け出して相談さえしなければ、そいつの前進したい気持ちも、またそのための時間も、奪わずに済んだのに。ましてやそのように時間を奪ってさえ、おれはなんにも得ることができていない。そうして、無力感を解消するために行った相談は、さらなる無力感を植え付けて拡大させるだけの恐怖の伝播にしかならないと、おれは相談のたびに自覚することになった。その結果、おれは自分の内情を抱え込むことになったのだ。

 だけどおれも半端者で、相談事を誰に対しても完全に包み隠す、といった徹底はできなかったらしい。いくら自分の中に閉じ込めようとして、メモアプリに何千字、何万字、何十エントリと書き綴ったとしても、それをだれかに、発信ではなく、発散したくて仕方がなくなることがあるらしい。それが今だ。今こうやって記事にしたり、他にも、夜な夜なツイッターに放出しては後悔して消したり、そういったことを半端な罪悪感と半端な衝動の往来を繰り返しながら、止められずにいる。現実の具体的な人間を対象にすれば、おれは前述の「恐怖の伝播」「無力感の増幅」しか生まない「相談」を忌避するにも関わらず、インターネットに対してそういった情報を出すことには基本的に無遠慮だ。それは今のこの記事が証明している。おれはインターネットを、チラシの裏か何かだと、義務教育も終えていない年頃から続けて、未だに思っているらしい。

 画面の向こうにいる人に、何度会うことがあっても、具体的に言葉を交わすという経験を経た上でも、"ここで発信する言葉がその人たちに生身で届くかもしれない"という想像を怠り、こうやって暴力的なことばを投げつけることが、おれにはできてしまう。ふだん人に言わないから溜め込んでいるのだと、自分で自分を庇いたくなる気持ちが僅かながら滲み出そうなのは事実だが、しかしおれが実在する人間に対して、あまつさえ画面の向こうとはいえ必ず一人一人いるはずであろう人間に対して(その一部は実際に会ったことさえあるのに)、あまりに不義理だと言われても仕方ないし、実際おれは、こうやって暴力的な生身の感情を、インターネットを介した発信によって罪悪感を中和する、そんな自身の行動に対して、実在の人間を省みない不義理な行動だと評価している。それは逃れようのない事実だ。

 

 たぶん、数少ないこれまでの被相談者たちは、べつにおれに対して意地悪をしたとか、意図して解決を示さなかったとか、力になりたいと思わなかったとか、そういうことではないのだと思う。ただ単に、みじかいやり取りでは、没頭を経ないようなコミュニケーションとしての会話では、芯の部分の問題など到底共有できないのだと思う。ましてや人間は社会的動物だから、基本的にコミュニケーションに対して「同情」という解決を示してしまう。多くの場合、おれが相談をおこなってきた被相談者の取る行動は、同情だった。それは辛かったねとか、おれだったら耐えられないとか、怒りを共にするような人もいた。しかし、おれが真に求めていたのはそれではない。具体的な解決だ。

 おれは別に、同情がまったくの不要だとは思っていない。おれが人から情報を得る時に、相手が話し終えてまずこちらが返答する言葉は、たいてい同情だ。そうすると相手は、自分の主張が理解されたかもしれないというひとまずの了解を得て、安心することができると、おれが知っているからだ。会話を継続させ、たがいの真意を伝えあうために、同情というプロセスが必要であるからだ。しかし、どうにもおれは「解決」を求めているのに、同情で終わる「ただの会話」が多い。それで人間生活としてはいいのだろうけれど、しかしおれは、どうにも「同情」だけでは、おれの「相談」が解決し、前へ進むための一歩として成就したとは、とうてい思えなかったのだ。

 そしてさらに救いがないとおれが思うのは、数少ないながら「解決」を提示してくれた人たちの主張も、本当にこの上なく失礼なことを言うが、その多くは実を結ばなかったことだ。具体的にいうと、被相談者はおれの相談を受けて、「おれだったらこうする/こうしてきた」を、実体験とか、たとえ話とかを駆使して伝えてくれるのだが、まずそれに共感することがたいていの場合できない。これはおれの側の問題なのかもしれないが、しかし確実にいえるのは、「その提案・主張が解決に繋がるということが、論理的に、あるいは実践的につながっていない」ということが多い。おおくの場合こうやって提示された「解決」は、個人の主観、個人の感情、あるいは一般論であることが多い。おれの言葉にして言えば、「説明が不足している」。それはおれからの説明も、相手からの論理だても不足しているのだ。ここに、不可解な、認識の埒外の溝が存在している。

 

 このように、「相談に対する返答が、具体的な解決に繋がっていない」という実感をもたらす原因は、そもそも人間が、あるいは生命が、もしくは万物が、根本的に抱える問題が原因であると考える。その正体は「前提」、言い換えれば「生まれ育った環境、蓄積してきた経験、今持っている技能」にある。

 たとえば百戦錬磨の戦国武将がいう「人の殺し方」を、今日日、当時に比べればこのうえなく平和極まりない現代にいるおれに叩き込もうとしても、根本的には無理だ。

 まず、「殺す必要性」がない。基本的に犯罪になるし、自身と周囲の現在と将来にあたえる影響がこのうえなく大きい。たいてい衣食住の確保がそこそこ容易い現代において、略奪による拾得はハイリスク・ローリターンの極みだ。

 続いて、「殺す欲求」がない。まず上記の「必要性」がない時点で相当だが、おれはひとを殺すだけの憎しみを持ち合わせていない。そういうものを持っている人もいるだろうし、今持っていなくとも、何かしらの事情で次の瞬間に、殺したい事情が出てくるのかもしれない。しかし、殺すことが生きるために当たり前だった戦国武将が、殺すことが必要でない現代のおれに対し、一朝一夕に「殺す欲求」を植え付けられるとはおもえない。繰り返すが、この話は「被相談者が相談者に対して解決を教示するとき、その説明が不足しているとおれが思う理由」の話だ。つまるところ、これはほとんどこの記事でおれが言いたいことなのだが、"被相談者がおれの立場に立とうとしない/立てない時点で、「解決を求める実直な相談」は破談に終わる"ということだ。実に失礼極まりない主張だが、後に説明するので聞いてほしい。

 最後に、「殺す方法」を習得できない。これは問いの前提を追加して申し訳ないのだが、どれだけ殺したいと思っていても、どれだけ殺す必要性があったとしても、たとえばその殺したい対象が、この日本にはいないという情報しか自分は持っていないとしたら?あるいはその対象の生死さえ定かではないとしたら?相手はボディーガードで完全防備されており、肉体面でも精神面でもとても歯が立たないとしたら?そのような「できない」の理由を、無限にも思える障壁として並べられたら、おれはどれだけ「必要性」や「欲求」が盤石でも、殺しの実行が不可能だとして多くの場合諦めるだろう。あるいはおれがやる必要はないと理由をつけるかもしれない。

 

 こうした主張をおれがするのは意外だと思うかもしれないし、誰にも思われないとしても、おれ自身意外だ。つい3日前、本当に誇張でなく3日前ならば、お前、何言ってるんだよ、と、自分につかみかかりかねない勢いだった。強迫と使命感、「必要性」によって「欲求」を加速させてきたおれにとって、「方法」が見つからない程度で諦めるなんて馬鹿げている、そんな躊躇の時間はないんだぞと、おれならばおれに対し言いかねない。しかし、この2021年4月という一か月、創作活動にどうにも本腰を入れられない現実と、実はもうひとつ、意図せず「上手くいってしまっている」現実を対比して考えるに、「必要性」と「欲求」による理由付けがいくら大きくても、「方法」がまったく見えないんじゃあ人の心は折れるんだな、ということを、おれは嫌というほど実感してしまった。

 そして、おれの体感上、かなり多くの被相談者は、切実な相談者に対し、「必要性」「欲求」「方法」のすべてのピースを埋められるような、明快で、具体的な回答をすることができない。それはひとえに、ふたりの人間は別々の「前提」「環境」「能力」を持っており、まずそれを認識すること、それを認識しなければならないという問題に気付くことが難しく、さらにそこまでの労力をかけたうえでなお、その溝を埋めることはなおのこと難しい、という、そういうことが、「相談」が「解決」に結びつかない原因だと考える。

 

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 おれは青春時代に関心をよせるたいていのことに対して、無力感を募らせていた。その最たるものは、好きなもの、文化に対して一向に得られない理解と、それらの衰退を通した「自分の"好き"の否定、自己否定につながる現実」を、まざまざと見せつけられてきたことにある。そして一方で、その無力感を打ち破るように、世間の無関心を関心へと一点に向けさせるような、まるで、奔流に耐え忍ぶ長い日々を穿ち、天へと向かう滝を登る鯉のような、そういったアウフヘーベンのような存在に、一種の救済と、憧れのようなものを垣間見ることがしばしばあった。

 

 

 おれは小学校・中学校の時分から、イラストを描いたり、小説まがいのものを作ったりを、まあとても人に見せられたものではないが、しかし特定の誰かには打ち明けたいと密かに思いながら、さらにそのくせ実態としては、教室の自席の机に、授業中に妄想としてイラストを描き殴る、といった、まるで矛盾した行動を繰り返していた。先生にも見られたし、見られたくない同級生にも見られたし、休み時間に机を囲まれたりもした。見てほしくないのに、目につく場所に描く。見られると心がぞわぞわして、ときおり修復不可能な傷を負うのに、自分のやわらかいところを誰の手にも届く場所へ置く。そういった愚かなことを繰り返しては、下手だとか、おれの知ってるあいつの方がうまいとか、なんでそんなことをとか、嘲笑や侮蔑の対象にされてきたような記憶が、今のおれには鮮明に残っている。明確に認められたという記憶は、少なくとも埋没しているのか、どこにも見当たらない。だのにある時期は描き続けていたのだから、たぶん、褒められてはいたのだが、しかし認識として貶される言葉のほうがおれには深く刻まれてしまったのだろうとおもう。まったく実にならないことだった。

 おれの絵はオリジナルのキャラクターである時期もあったが、しだいに既存の作品から間借りした誰かを描くことが多くなった。そしてそれを貶されるたび、おれはおれの絵が、というより、おれの好きだった作品ごと貶められたような気がして、しかしおれに絵の力がないのだから仕方がないと、心底かなしい思いをしていた。あまり具体的に言いたくないが、信頼する人間の2人ほどからそういった言葉や行動を受け取ってしまった経験から、おれは絵を描くことを諦めた。それは単に絵が嫌いになったというよりかは、絵を描くことより楽しい現実、ゲームとか友達づきあいとか、快楽に近い日常があった、とか、それに、絵を描くかわりの表現を見つけたことが大きい。それは音楽だった。高校の時分になってからは、可能な限りの時間とお金を音楽への経験と実践、あるいはそれに通じると自分に判断したものへの投資に捧げたつもりだ。しかし、それは振り返ってみれば半端だったし、何よりそこでも、おれは自分の無力感と、それを通じた「好きなものを否定されるような感覚」を味わってきた。手を変え品を変え、考えていることを伝える方法を模索してきたが、どれも苦しい日々と、そこで戦う人への迷惑と、そしてそれに見合わない成果ばかりを繰り返してきた。

 こんな悲観的な見方は、おれの偏った物事の受け取り方であり、妄想に過ぎない一面もあると自覚している。ただおれにとって事実なのは、当時から「相談」をなるべく忌避した結果、おれの中での妄想、作り話、自己否定は、今やおれ一人では修復不可能なくらいに拡大してしまったということだ。これを破壊すべきなのか、あるいは自己のひとつとして受け入れるべきなのかはまだ分からないが、少なくともおれはいまだに、自分が好きだと思えるものに対して、大手を振って好きだと言える自信がひとつもない。

 おれがnoteでレビュー・感想に類する記事を書くとき、あれほど長大になるのは、自分の「好き」に対して自信がないのが一因だ。「好きだったら、もっと人に伝わるような表現にできるだろう。好きだったら、もっと表現を上達させて、それをだれかに共鳴したり伝播させることができるだろう。それが昔から、今でさえ十分にできないのは、おまえの「好き」が世間の皆様よりもずっと半端で浅いものでしかないからだ。」おれはそういう、自分への問答、半ば説教じみた一方的な主張を繰り返してきた。それを受け取るもう一人の自分は、黙って、はい、はい、とうなずく。そしてそいつはある時、目線だけをこちらに向けて、だったらやればいいんだろ、やるしかないんだろ、と、半狂乱で文字や絵の筆を執った。おれにとって創作の契機は、そこに至るまでの過程は、これだ。おそらく純粋だったであろう「好き」と、それを否定されてきたばかりで埋め尽くされた記憶、自身の無力に対し自責と後悔を繰り返す日々、その最中に生まれた「世界は残酷で、おれは無力で、それでもやるしかない」という了解。この過程にしか、おれが今まで描いてきた源泉はない。寂しい人間だとおもう。いつか「あの向こう側にいる人たちと肩を並べたい」と思った日々もあったのに、その彼らとも、どうにも目線が合わなくて、どうにも実力が釣り合わなくて、そしてどうにも話が合いそうにないと、未だに孤独を感じている。

 

 それでも、たとえ孤独に満ちた道すがらであり、これからもそれを辿るのだとしても、おれはこの無力感を払拭するために、自身の「できること」を拡げる他ないのだとおもう。この無力に押しつぶされて、「自分は無力で、生きる価値のない人間だ」という認識に埋没して無為に呼吸をしていくくらいなら、おれは好きなことを信じ続ける他ないのだとおもう。そうするほか、生き残る術はない。そうすることでしか、生きてこられなかったから、おれはそれ以外のやり方を知らない。

 

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 前述したが、おれはこの一か月、創作活動の筆が鈍っている。正確にいえば、以前ほどの時間をかけて完成したイラストは1枚たりともない。内情はめちゃくちゃだった。焦っていたし、閉じこもっていたし、なるべく人との接触を避けたし、断食を始めたと思ったら過食になって、手を付けるまいとしていたゲーム始めたと思ったら一日で辞めて、かと思ったら数日で手を付けはじめて、ダメだダメだと絵を描こうとしては、少し筆を進めては自己否定して、進まないだけの日々が続いた。

 

 この一か月何をしていたかというと、おれは通信制芸術大学へ入学し、初歩的ではあるがイラストに関する講義を受け、授業課題に取り組もうとしていた。そこで紹介された内容は、既存の絵に対する見識を一新するような素晴らしいものであったし、そこに価値を感じて、出来得る限りの板書をおこなった。それを読み返しては意義を感じたし、実際に十何枚かの既存のイラストについて、トレースしたり、構図や色や絵の伝えたい意図を分析した。その時間はとても楽しかったし、これらの山積が、いつか自身の表現に繋がると確信していた。それが、4月半ばごろまでの記憶だ。

 それから4月も後半にさしかかるころ、おれは、今まで描いていたイラストが描けなくなっていることに気付いた。考えれば当然だった。おれは短期間に、絵に対する様々な構図や色の考え方を詰め込んだことによって、「人を惹きつける絵とは、一朝一夕の感覚やひらめきによって成り立つものではなく、いくつもの先人の理論や、それらを緻密に組み合わせることの山積によって成り立つものなのだ」という実感を強めていった。それは実践の量に対してあまりに不釣り合いであり、いわゆる「頭でっかち」の状態だ。頭ばかりが、理想ばかりが先行して、しかし具体的に絵を描こうとするとき、「おれは習ってきたことを、どうやって実現させればいいんだ?」ということに悩むことが増えた。あまりに増え、頭を抱えることが、以前にも増して増えた。しかし考えることが増えたのだから、通話を繋いだりして集中を切らすわけにもいかない。音楽もなるべく切ろう。そうやってパソコンと液タブのファン音と、路上のブレーキとクラクションの音以外は聞こえない夜の部屋で、ひとりごちる日々が続いた。

 

 ここでおれが感じた経緯をより仔細に言語化してみる。結論から言えば、「美味しい魚がどういうものなのかはわかったが、どうやって魚を捕ればいいのかわからない」といった状態に、おれはおそらく陥っている。

 

 まず、芸大に限らず、講義・講座・それに動画配信といった、複数の人間を一気に指導する方法には、人に対して指南できることに対して限界がある。とくに、おれが前述した、「必要性」「欲求」「方法」という、人が心を動かされるための重大な3要素に対して希求することが、この「複数を対象とした講義」は苦手だ。ただし、時に過激な発言によって「必要性」「欲求」を焚き付けることはできるだろう。しかしこの「方法」は、指南がすこぶる難しい。とくにおれのように、要領が悪くて、観察力のない者に対してはなおさらだ。しかしおれは、この「方法」の指南は、単に要領とか観察力ではなく、そもそも講師・生徒の「認識の溝」を埋めることが、講義という形式上、構造的に難しいのだとおもっている。

 たとえば構図の授業で、「こういった形のモチーフを、こうやって配置すると、最も伝えたいAというテーマに対し、読み手の目線を集中させることができる!」という方法論を提示いただいたとしよう。そして講師は、ある程度の参考例や自身のドローイングを通じて、簡潔ながらもその効果が作品として生成されていく過程を提示する。おれはそれを実感し、自分のイラストにも活かしてみよう、と考えをめぐらす。しかし、おれが思うに、これでは実践に際して不十分な情報がいくつもある。まず授業という時間に枠があることが原因で、これらの「実践例」は点数が少なく、解説も少なく、何より時間が「イラストの構想~完成」には到底及ばない短時間である。さらに、質問と回答にはタイムラグがあり、あまり密なコミュニケーションを望めそうにない。つまるところ、まずは最も欲求に、要望に正直になるならば、おれがもっとも見せてほしいのは、「"具体的に"どうやったら"自分が期待した"イラストが出来上がるのか」である。

 もちろん、これら基礎的かつ包括的な学習がまったくの無為だというつもりはない。こういったことは、ある時、木の幹が、地図が、急激に回路や視界を拡げ、ひらめきのように開花し、知識が知恵として、実感として長く根付くような瞬間を迎えることもあるだろう。しかし、よほど利口で、よほど運がよくなければ、こういった機会をもとに実践へ繋げるための「気付き」を得ることは、おれにはあまりに難しいとおもう。おれの寿命が無限ならば、こんなことは言わなかった。悠長に構えていられるなら、学びの楽しみに浸っていることもできた。しかし、おれには、おれの20代には、時間がない。いくら「焦るな」と言われても、事実、時間と機会は喪われ続けているのだ。

 

 やってみせ言って聞かせてさせてみせほめてやらねば人は動かじ

 という、錆のついたような(と言うには失礼だが、しかし頻繁に聞く)言葉がある。これは価値観のひとつであり、何事にも適用できるとは限らないという前提があるが、しかしおれはほぼ確実に、何か物事を動かすとき、変化をもたらしたいときに指針となる考えだと確信している。

 これは連合艦隊司令長官山本五十六の遺した言葉であり、おれがこの言葉を実感を伴って聞いたのはついひと月ほど前だ。生活のために日々労働に従事している会社で、たまたま業務上協力関係となった先輩から、話の流れで聞いた言葉だ。

 この業務は、先輩が重点的に関わることになるよりも前、20年12月ごろから激化してきた業務で、そのころはおれが主体となって回していた。しかし初めて行う複数の関係者をまたぐ主体的な調整、工程と実現性とコストを鑑みたトレードオフと決断、そして何より「この人達が何を危惧しているのか」を理解することが、おれの頭にはまったく追いつかなかった。ひとつの見当に2週間、3週間、4週間と時間がかかり、「なかなか決まりませんね」という言葉も聞こえてきた。そこにはおれが前にいた課の先輩もいて、遅れれば遅れるほど、判断を間違えれば間違えるほど、彼らの重荷が増えていくことは明白だった。この人たちの時間は無限ではない、ましてや自分よりもずっと重い。おれは焦っていたし、悔しかったし、しかし仕事以外にも大切なことがあって注力しきれず、どうすればいいのか袋小路の状態だった。そして、4月頭、先輩が主体的に業務をフォローしてくれる形となった。

 もうこの会社に勤めて4年にもなるが、先輩の流暢な語り口と、明瞭な「これからやるべきこと」の説明、認識合わせは、かつて社内で見たこともないほど見事だった。その話の場末に、こんな埃を被ったような言葉をいうだなんて人ははじめて見たから、ますます驚いた。それも二者の対面ではなく、おれと、おれの後輩にあたる人がいる三者で切り出したのだから、単なる洗脳とか、二人だからいえることとかではなく、本当にこの人は、おれたちにこのことを伝えたくて話している。前提として、この人は目に見えて優秀な人であり、少なくとも社内各部署からの信頼という意味では、この人を置いて他にないほどだった。手際の良さと話の明瞭さ、相手の発言を聞き取る姿勢、従来の慣習でなく常識的に考えるといった判断、そして何より「困った時に相談したくなる」ような人物像は、繰り返しになるが、これまでの会社生活で見たことのないようなものだった。

 彼が言うに、この言葉は"やってみせ"の部分が重要であり、教育の立場において、この"やってみせ"を実践できている人が、今社内では確実に減少している、とのことであった。"言って聞かせて、させてみせ"は、割と誰でもやる。しかしこの言葉にもあるとおり、実際にどうすればいいのか、具体的に何をすればいいのか、それを教育者みずからの実践によって背中を見せてやらないと、生徒は動かない。だから、会議の案内だけは君たちに任せて、その中で話す内容と議事録は自分がやるから、まずはそれを見ていてほしい。そして次第に、自分のしてきた業務をできるようになってほしい。

 おれは彼のいうことにしたがって、彼を招いて会議を開催した。本来こっちが請け負うべき調整を、彼は進んで行ってくれた。これほど業務を跨げば、上司に怒られるかもしれないが、それでもこの「業務と業務の間、課と課の間、人と人の間で、双方が何をしているかを知らないと、その間を調整することはできない」という理由で、彼は献身的に各課の話を聞き、迅速な決断と、必要な上への相談をこなしていった。「このレベルの話になってくると、上の人にマークされるから、そこは事前に押さえておこう。上の人には自分から話すから、各課へはこういう風に説明をお願い」。次第に教育は、方法論の教示と"させてみせ"のフェーズに移行した。もちろん最初から上手くいかなかったし、未だに疑問に思った箇所、分からない箇所は長文になりながらも相談するが、彼は必ず一日おきにメールを丁寧に返してくれ、具体的な方法としての一案も提示してくれた。そうして一か月経った今、おれは彼がかつて調整を働いていた課や、上の人から、一か月前よりも確実に成長しているとか、迷いがなく的確な判断で素晴らしいと感じたとか、なんだか過大にも思えるような、今まで言われたこともないような評価を得てしまった。信じられないことだったし、はっきり言ってしまえば、自分の認識と見合わない評価を受け取ってしまって、吐き気がした。おれは無力を感じたくないのであって、曖昧で地に足つかない「評価」を得たいわけではないのだな、と、イラストの経験からもなんとなく実感した。

 

 ここで考えたいのは、どうして仕事において、ここまで成長を遂げることができたか。いや、それよりも重要なのは、今おれが陥っている創作活動の鈍りという現状と対比して、なぜここまで続けられたか、ということだ。

 最後の「評価」の段は、事実である者のストーリー立て上の説明にすぎず、こんな評価がなかったとしても、おれは先輩のいうことを聞いて、調整を続けることができていたとおもう。なぜかというと、おれはこの一か月の過程を経て、少しずつ、しかし確実に、自分にできることが増えたという実感を伴っていた。これは言いかえれば、相手の主張と相手の仕事を知れば知るほど、自分が物事を動かせるようになるという因果関係から、知的欲求、単なる興味としての開花も伴っていた。そしてそこに至るまでには、"やってみせ、言って聞かせて、させてみて"という教育の過程から、自分にもできるかもしれないという意識の転換が生じていた

 

 思うに、自分も含めた「人」が動くための条件の一部として、下記が挙げられるとおもう。

■着手し、問題を認識し、問題提起を行う。「必要性」の提示、そこから「欲求」への転化。

■問題に対し、具体的解決の方法を知る。見る。自分にもできるかもしれない、という実感を得る。

■知的欲求、疑問点の解消に努めながら、実践する。わからないを一つずつ潰せば、徐々にやるべきことが見え、できることが増え、もっと増やしたいと自然に思える。

 

 こういったフローを経て、おれはいまの仕事をそれなりにこなせるようになった。もちろんしんどい。時間も奪われる。それに伴う焦りも完全に消えたわけじゃないし、イラスト制作に対して意識がもっていかれることもある。しかしおれは、真摯に向き合えば、疑問に忠実になり確認して、一人一人の主張に向き合えば、それなりに解決の糸口は見えるものだと実感し、それが素直に、楽しいとおもえた。それは評価につながったし、成果につながった。こんなにも「楽しい」と「成果」が結びついたのはいつぶりだろうと、思い出せなくなっていた。

 

 

 いまのおれの創作活動に不足しているのは、自分を焚き付け、追い込むことによる「必要性」の増強ではない。無理に自分を塞いで、苦痛の中に「欲求」を見出す、あるいは欲求を押し殺すような真似をすることではない。

 実感がない。「できる」という実感が、「方法」を知れたという実感がない。この一年間のイラスト活動を通じて、おれは壁を殴り続けてきたような感覚だ。本は作れたが、それが多くの人に伝わるようになったかというと、まったく駄目だとおもう。このまま続ければいつか誰かに伝わる力がつくかというと、まったく駄目だとおもう。全然、自分の絵を直視できないし、また客観視もできない。

 おれはまだ、実践的な作業を何もしらない。画面の向こうで、そのモニターだけを映している向こうで、作家がどこに目線を奔らせ、何に逡巡し、何を考えていて、どういう順番で物事を考えて、誰と相談して、何にしたがって描いているのか、それがおれの乏しい観察力では、講義や動画の向こうでは悟ることができない。

 

 もっとも欲に忠実にいうならば、生きた師に、この眼で、この眼前で説明してほしい。おれの表現したいことを伝え、そのための道すがらの一つを、みずからの背中で"やってみせ"て、おれにも「できる」という感覚を、どうにか与えてほしい。大して難しいことではないと思うのだ。こんな忙しい現代でさえなければ。ただこの星の下で、そういうよき理解者に巡り会うことができるのであれば。

 本当にみすぼらしいお願いだとおもう。おれは、自分一人で生きていくしかないと思っていたから。本当に大事なことは、誰にも伝わることはないと思っていたから。それを観念して、「伝わるかもしれない」という希望をふたたびもって、おれは「教えてください」という懇願をしたい。それを実現できる誰かを探したい。

 

 さもなければおれは、青春を捨てる覚悟を持たなければならない。この焦りを排斥し、地図もわからない基礎的・包括的・部分的な学習を、いつか花開くと十年余り、いやそれ以上に待つ覚悟をしなければならない。おれはこれがどうにも苦手だ。だから、せめて疑問に答えてくれれば、せめておれのやりたいことを聞いてくれれば、せめてその活動の背中を可能な限り追わせてくれればいいから、そういう人に出会いたい。でなければおれは、ずっとこの無力に苛まれたままだ。無力にさいなまれ、同じような人を横目で見ては、彼らに何も示せないと、おれもただ無力感を強めるだけだ。そんな繰り返しはもう嫌だ。

 

 

 という、以上のようなことを、おれはあまり人に先立って相談できないので、まずは文字に起して整理した。この文章がインターネットを通じて誰かに伝わることはなくとも、まずはおれの「相談」に対する忌避を打ち払う一歩として、この文章をうまく活用できることを願う。