人間なんて大嫌い

 まず第一に、おれはこの世界と人間がたぶん嫌いだ。どれだけ心が動かされるものを見たとしたって、どれほどの優しさに触れたとしたって、そこでおれの中に芽生える感謝とか善意とかいうものは、もううんざりだと思う。たぶんおれは、世界と人間が嫌いというより、それらに触れることでおれの中に芽生える反応が嫌いなんだ。こんなもの、いくら誰かに助けられたってどうしようもない。おれが見たくないのはおれの内心で、その内心を引き起こす観測を忌避するために孤独を選ぶのだから、おれの魂がこの肉体を離れないかぎり、おれは自分も人も愛することができないだろう。無償の愛は滅んだ。少なくともおれの中では。

 

 おれは裏切られたり、自分の押し付けるそいつの像が壊れることが怖いのだとおもう。けれど、そんなの相手にとったら勝手だ。だけどその勝手を、おれは世界を信じ続ける限り、止められない。おれがこの世界を光だと捉えたり、おれが人間を貴いもので大切なものだと捉えるかぎり、おれはいつもその理想の崩壊という危険を抱えながら砂上の楼閣で幸せを享受しなければならない。そんなのはもううんざりだ。自分が正しいと信じているうちに、人様の傷ついた足を踏みつけているような無遠慮に成り果てるくらいなら、おれは何も信じないことを前提としてやっていきたい。そんな人間賛歌に加わって牧歌的に生きることは、こころが落ち着いて幸せだとおもうことが人間として在るべき姿だと信じることは、もうやめにしたい。それくらいなら、生きることは傷つけること、汚れること、汚すことだと了解して、無償の愛なんて在りもしないと決めつけて、おれはおれの潤滑を守りたい。そんな茶番じみた楽園を探すことに躍起になって時間を浪費するのは、もう嫌いだ。

 

 おれはもし生き続けるのなら、この先何かを為したいとおもうのならば、まずは身の回りに向き合ってそれらを理解しようと試みることが重要だろう。しかしそこで芽生えるのは感謝や善意、愛情ではない。自分の内心が気持ち悪いという不快感だ。おれはきっと、その不快感を克服することができない。不快を快だと捉えたとき、その砂上の楼閣はいつも崩壊の危機を招くからだ。おれはそんな足止めのリスクを抱えて笑顔を保つよりも、そこそこ死んだ目でしかし双眸は常に目標を見据えて両手はいつだって空けられるような、そんな坦々とした居住まいでいたい。本当にこの表現が必要なときに、おれの足が動かなかったら、何の意味もない。

 ならばやるべきことは、世界を快であり理想でありうつくしいと捉えることではない。かといって、世界や人を憎んで恐れて目と耳を塞ぐことでもない。いくらでも解決すべき課題はある。いくらでも表現すべき事柄はある。そして、それに向き合い続けることが必要だ。

 

 どれだけ気が狂いそうでも、時間は待ってくれない。おれの寿命も、その物事と触れ合える時間も、いまこの一瞬でさえ刻一刻と失われ続けている。何もかも時は移ろい変えてしまう、大切なものも美しいものも、二度と忘れまいとした想いさえも、また自分自身の想いでさえも、まるで他人になってしまったかのように足蹴に扱うことができてしまう。それがどれだけ痛くて、どれだけ苦しくて、どれほどの希求に溢れたものだとしても。そしてその解決を先延ばしにしたおかげで、その病状が再現したときに解決がわからなくてさらなる苦しみに見舞われる。世界を信じたせいで解決を先に委ねて、自分自身を追い詰めるような馬鹿な真似は、もう繰り返したくない。うんざりだ。好きでいることも、愛することも、大切にすることも、もう嫌いだ。

 おれにできることは、そいつを他者に復元可能なようにパッケージにすることだ。そのためのことば、絵、何かしらの表現を磨き続けることだ。理解して、形にして、伝える。それは必ずしも自分以外の他人ではなく、自分自身に伝えるためにも、おれは表現を続けていくのだとおもう。忘れるなと、そこに確かに声はあると、そこに確かに痛みがあると。

 世界と向き合うことは不快であり、向き合うことが必要である生活に関するさまざまな営為とは不快であり、すなわち生きることは不快であることを、おれが了解しなければならない。でなければ安寧の感覚とともに足は止まり、後悔や痛みは他者であれ自分自身のものであれ忘れ去られ、同じ路をたどったときでさえ二度と解決の復元が不可能になるだろう。また、さもなければ、おれは不快を受け入れたくないと塞ぎ込んで、この場合も訪れる負の感覚と出来事に何も対処する手段を失うだろう。すべての痛みはそれを記録する契機であり、おれのすべてはそれを伝えるためにある。そして、現実に起こりうる痛みの数々を、存在しないものと無視することはできない。無視しようとしても、し続けることができない。必ず向き合うときが来る。だからおれは筆を執って、苦しみに向き合って、形にして、いつでもおれが理解できる形に変換しておく。こんな頭蓋に収まったこれっぽっちの容れ物に、記憶を頼ることはできない。おれは救いではなく、他者の為でなく、ただ自分の備忘のために、感じたことを記号としてでなく感情として思い起こせる形にするために、表現という手段をとる。それがいかに不快で、裏切りに満ちていて、世界も人も最悪だと認識させるものだとしても、嘘のうえで快楽を得て、本当のことに立ち会ったときに喚きたてるより、おれは遥かによいことだとおもう。これは誰かに勧めるとかそういうことじゃなくて、おれの問題だ。憧れとか信頼とかべき論とかとは一線を画した、おれ自身の問題だ。だれも付いてくるな。

 

 本当にひどいことばかりを書き続けていて申し訳ないのだけれど、これが破滅願望ではないということだけは示しておきたい。おれはたぶん人間も自分も嫌いだし、未来への希望もまったく持ち合わせてないけれど、「苦しむことは莫迦だ」と一蹴できるほど、完璧に嫌いになることはできないらしい。そんな半端者だから、基本的にはみんなのことが嫌いだし信じないようにするけれど、目の前で起きていることだけは、善意でも救済でもなくただ個人の興味として向き合い続けたいという意思表明がこれだ。そしてこれは誰かに向けたものじゃなくて、おれに向けたものだ。もしおれがまた、描き続けるのが苦しいと宣って足を止めた時に、そんな馬鹿を殺して前を向かせるためにこの文章を使いたいというだけだ。

 

 だいたいのことは移り変わってしまうし、そんな風化を止めることもきっとできないし、だからここで大層おおきく言い出したことのおおくは、おれがこれから生きるに従って意図的に、あるいは掴もうとしても永久に失われてしまうのだとおもう。けれどそんな残酷さが予期される中でも、何かを忘れたくなくて、とくに足を止めてほしくなくて、おれはこういう呪いを自分にかけようとおもう。たとえ今の主張がおれ自身に一ミリも理解できなくなったとしても、おれにはこれしかないと思い込ませるための言葉だ。けれどたぶんここの言葉は、言い方の強さよりもずっと束縛感のうすいものだとおもう。むしろおれのことばが、信任に値しない希望とやらに潰されてしまうのを防ぐために、おれはこういうことを書いている。だから、そんなに悲しいことでも、強調すべきことでもない。ただ、忘れるなという主張だけは、残酷かもしれない。そんな残酷さも含めて、おれは了解すると決めたい。そうしなければ生きていけないだろう。

自分の足でまともに立てないから、理由ばかりを探し求めてる

 おれは世間様でも珍しい、ゴールデンウイークを一丁前に享受できた人間なのだけれど、去年の今頃は一度辞めた絵をもう一度始めようと意気込んでいた頃で、拙いながらも、方法も覚束ないなりにも、それなりの枚数をこなしていたようにおもう。間違った線、間違った塗り、間違った絵だったと振り返って思ってしまうが、それでも今年の何一つ成果どころか筆の一つも生まなかった時間よりかはある程度マシだ。

 ただ、おれはきっと本心で、「筆を動かしたほうがマシだった」とはもう考えていない。おれは自分の頭ではじき出す戦略とか、自分の手を動かして生み出す成果物の堆積とか、そういうものをなんとなく信じられなくなってしまっている。それがなぜなのか、もう何週間も探している気がするが、そんなものを正確に言い表すための作業に時間を費やすのを、一秒でも早く辞めるべきだとおもう。それはきっと、「自分が願う未来が実現しないことが怖い」とか、「自分が願う未来そのものが信用できない、自分の願うものが自分にとっても誰にとっても望まない間違いであるかもしれない」とか、とにかく、「分からないから怖い」に帰結するような、浅薄で、臆病で、与えられた時間を無駄にするものばかりではないかと直感できるからだ。しかし一方で、自分の中で恐怖におびえる気持ちが、かつてないほどに大きくなっているのを感じて、「動かないままでは時間を失い続けるだけだ」と自分の背中を押す声と同等かあるいはそれ以上の大きさで、「おまえがどう足掻いたところで災厄を振りまくゴミを生み続けるだけだ」という声が鎮座している。もうダメかもしれない、おれはもう筆を取れないかもしれない、とすら、何度も考えている。いや、この連休は、そういうことを考えないようにしてきた。

 考えないようにして、明日のことも、未来のことも、かつて願ったことも、約束も、今解決すべき課題も、全部投げだして、ゲームとか、漫画とか、映画に耽った。素人なりに色々考えたが、しかしそのすべてを、以前のように記事にしようとはあまり考えなくなっていた。どうせおれの濁った眼と頭では、誰にも到底受け入れられない間違いを生み続けるだけだと、そこまで強い言い方ではないにせよ、しかしやはりそれに近い声が頭の中にずっといる。おれは、観ている作品のなかを深く潜って、自分の言いたいことを探し当てて、それをなるべく伝わるようかたちにするといったおれの中での「創作」の作業に辟易してしまったのかもしれない。その結果、おれは作品をただ貪るだけで何も創出できない、思考も自分の考えもない、ただの非能動的な受容者になってしまったのかもしれない。それが、一年前、二年前のおれがもっとも恐れていたことだった。そのときのおれにとっては、そんな未来はきっと、急激ではなく、おれでさえ強い抵抗のないままに訪れてしまうものだと予期していた。そして今、まったくその通りになって、おれは強い反発をするでなく、ただ泥濘に甘く足を取られていることを受け入れている。おれはそんな自分を、強く罰することができなくなってしまった。だって、同じことを誰かがしているように見えたとして、その人を強く非難することなどできやしなくて、自分に厳しく他人に甘く、という自他の分別をきっちりつけることが、まったくできなくなってしまっているのだから。

 おれは弱いと思っていた以前のおれよりも、ずっと弱くなってしまったのかもしれない。そしてそれは、衰弱や老衰のようにそのときを迎える。そこには強い抗いもない、何か抜け出す方法を探すような希求もない。ただ、自然の道理であるように、能動性の消失を受け入れるおれがいる。以前のおれなら許せなかったはずのそれを受け入れている自分、そしてそれを観測している今のおれがいて、心境は複雑そのものだった。

 

 おれはたぶん、一番大切なものを一番にしてはいけない人間なのだとおもう。なぜならそれは、おれがおれのことを嫌いだからだ。信用できないからだ。許していないからだ。

 

 この連休はろくに筆も取らず、ゲームをしたり映画やアニメや漫画を見ていたのだけれど、今ちょうどアニメで放送している『不滅のあなたへ』を見ていて、漫画は最新刊まで追っていたから再度読み直して、やはりこの人は最早当たり前のものを再度新鮮なものとして提示するのがあまりに上手い作家だと思いながら、ふと同じ作者の原作である『聲の形』を観てみたいと、自分の事ながら歯止めもきかずそのままの流れで観ることになった。これが今日半日の出来事だ。おれは思い立ったら読むのも見るのも早い。そこだけは誇れる。何の役に立つかは知らない。

 で、その『聲の形』の話を、なるべくネタバレをしないよう配慮しながら書くとするならば、まず一言、この話はおれに向けられた罪状のような気持ちだった。多くの人が苦しいと言う序盤よりも、主人公が成長した中盤からのほうが、おれは見ていられなかった。見ていられないと思いながら、手が止まり、目が惹きつけられてしまった。色々言いたいことがあるが、この作品は、無邪気さという一言で片づけられない罪と、それを自覚し希死念慮に陥る者と、実はその狂いは周囲に波及していて、誰もが誰も救われない気持ちの中で暗い森をぐるぐると彷徨っているかのような、そういう物語だった。

 これは途中まで、現実のおれと酷似していた。なぜならおれは過去、子供の遊びと区別のつかない状態で、二人の人間に対するいじめに加担している過去があるからだ。もっと平易に言うならば、おれはいじめの加害者だ。この作品の主人公のように。

 二人のうち片方のいじめは、クラスで一番発言力のあったガキ大将が、マッチポンプながらも「こういうことはもうやめよう」と勇気をもった発言によって中止された。おれがいじめていた奴は、かつてそいつの家に行って一緒に遊ぶほどの仲だったのに、身体的な障害が後に判明したのを理由に、そいつに対する複数人からのいじめにおれは加担していた。当時のおれ自身の心境をおれははっきり覚えていない。ただ3つ覚えていることがある。1つは、おれともう一人仲のよかった友達がいて、そいつはいじめられているやつに対して終始態度を変えず、「どうしてそんな酷いことをするんだ」とおれに言ってきて、おれはたしか上手く答えられないままだったという記憶。2つ目は、ガキ大将に「もうやめよう」と言われたとき、1つ目のことと重なって、おれは自分がまったく何も考えていなかったことに気付かされたこと。3つ目は、高校受験の時期になって、隣の中学に進学したガキ大将とその時のいじめられた対象が、仲良くやっているのを見て、おれはガキ大将にもそいつにも、仲良くしたかったのに、今更何も言えることがなくて自分にうんざりしたことだった。おれはついぞ、そいつに謝ることもできなかった。勇気もなければ、機会を持つ気もなく、自分から直接罪を白状する気もなかった。今更になっておれは罰されようとしていて、この話を文章にするのももう数度な気がする。それでも未だ、おれはそいつに直接謝る気持ちを持てていない。今更すぎるしキモいだろうとか、自分の慰めの為にそいつに合わせる顔もないだろうとか、そういった「やらないための理由」ばかりが出てくる癖して、内心では、こんなことを文章にしたいほどに罰されたいような許されたいような気持ちが芽生える。

 もう一人のいじめは、終着点を覚えてすらいない。覚えてすらいないのに、おれはいっぱしの青春を謳歌していた気がする。それが当時のおれにとって、自分で自分を許せない理由になっていた。おれは当時大事なことを話さなかった(今もそうだ)から、この気持ちはずっと内心に抱えたまま、誰にも理由を話せないまま、外面的には意味不明なほどに自己肯定感の低い人間に見えていただろう。あるいは普段は支離滅裂なほどに機嫌がいいのに、ある時急に自分の頭を殴り付けるような、変な人間に見えていただろう。それは多くの場合、過去の自分が犯したことを省みて、おまえは何にも変わっちゃいないな、と自分を叱責する行為だった。おれは半端な奴だから、そういった自分の内心にとどめておくべき罰を、目に見える形で自分に実行してしまう時があって、それが周囲を困惑させることもあった。おれは欠陥品だ。

 

 作品の話に一瞬だけ戻ると、おれがこの作品に妙な共感をしてしまった点はもう一つあって、これも自分の実体験に基づくことだ。おれは前述した二人のいじめから間もない時、別のもう一人、人から遠ざけられているような人間がクラスメイトにいて、おれはそいつと積極的に会話をすることを試みた。理由は今にして思えば二つあって、ひとつはおれがそのころオタク趣味というのを持ち始めていて、そいつがそういうのが好きな奴だということを知っていて、それが人の気に障ったのだろうと思っていたから、同じ趣味を持つ自分としてはそんな理由で虐げられることが許せなかったということ。もう一つは、おれは前にした自分のいじめに罪悪感があって、その救済としてそいつを助けてやりたいという傲慢な気持ちがあったということだ。このもう一つは、今日まであまり思い至らなかったことのようにおもう。だが時期的に間違いなく、おれは二度とよりを戻せない二つのいじめの加担を経験して、そのお咎めもなしに生きている自分に対し、今ほどの自責ではなくとも、いいようのない浮遊感があったことを認めなくてはならない。だからこそおれは、同じ目に遭いそうな、それも同じような趣味を持っていそうな人間に対して、そういったことが為されるのを見ていられなかったのだとおもう。

 そいつは中学の中頃までそれなりに仲が良かったのだけれど、おれがした失敗のお陰で、そいつとは仲良くなれなくなってしまった。今にして思えば謝ればまた結果が変わったかもしれないのに、おれはいつも、謝る勇気がなかった。どんな面を下げてそいつに向き合えばいいとか、そういったどうでもいいことで何度も何度も逡巡して、ついぞ顔を合わせてしまった時にまともな会話もできず、そして交流を失くしていった。おれはいつもそうだった。自分のした加害を、頭の中では反省を済ませても、それを相手に伝えることをいつだって躊躇った。何がそこまで怖いのか分からなかった。謝れば何かが変わったかもしれないのに、おれは「何を謝ればいいのか」が分からなかった。頭の悪いことは考えずにいつも口に出せるのに、考えて相手を思いやって伝えるべき言葉が、いつも口から出なかった。そんな癖が、未だに続いている。おれはどうしようもないやつだという気持ちを、そういった罪と、それに対する贖罪を前向きに行えない自分自身が、促進している。

 

 おれがこの作品を見て、本当に泣いてしまった場面は、いじめの加害者であった主人公と同じ苦しみを、いじめの被害者自身も同じように持っていたということだ。「自分はどうしようもないやつで、本当は生きていたらいけないやつだ」という自己否定と希死念慮を、加害者も、被害者も、同じように抱いて生きていた。これが、おれには、あまりにも複数の視座を示すようで、涙が止まらなかった。

 おれは加害者というものは、自分の犯した罪に無自覚で、のうのうと生きているものだと思っていた。被害者というものは、加害者を忘れられず、そいつを恨んで生きているものだと思った。だけど彼らの物語では違った。加害者はその罪の自覚が自分の慰めに向いていたにしろ、被害者に向いていたにしろ、その罪に自覚的で、それが自殺という行動に結びつくほどの重い認識になっていた。そして被害者は、その加害者が加害者たる存在になってしまったのは、自分という"間違い"が生まれてしまったことが原因だと考えて、その過ちを今後生み続けないように希死念慮を育てていた。おれはこの構図が、救われない袋小路だとおもった。ふたりが自分の罪と苦しみの想いを白状し、対話することに望みをかけるほか、この暗い森は抜け出せないまま重い荷物としてふたりの人生を塞ぎ続けるであろうことが、あまりに救いがなくて、しかしそこだけに救いがあった。そしておれがおもったのは、不埒ながらおもってしまったのは、おれも対話に救いを求めたならば、こういった救済があったかもしれない、という可能性に気付いてしまって、自分の視野の狭さと、そして二度と取り戻せない時間への後悔ばかりになってしまった。

 

 おれは思い込みが激しい。特に、「自分の言いたいことは必ず伝わら"ない"」という思い込みは、いつもおれの人生の障害だった。おれは本心を隠した。しだいにそれを伝える術を失くした。大人になった今でさえ、本当に思っていることを伝えるために、直球を投げる方法も、婉曲な表現さえも分からない。そういう場を設けることもできない。おれはもしもの時の謝り方がわからない。だから、こんなにも成果に対して強迫的だ。成果を出さなければ、謝ることができないのだから、その時は逃げるしかできない。そうやって現実であれインターネットであれ、おれは明確な謝罪もなく逃げ続けてきた。おれはそんな、最低の人間だ。そして、最後の手段が「逃げ」しかないのだから、おれは誰にも理解されない。「おれの言っていることが理解されるはずがない」という思い込みが、最終的にその結果を招く始末になっている。救えない。救われるはずがない。同情の余地もない。おれはそういった人間だ。

 

 

 おれは創作ができないとき、今回いったようないじめのような話とか、他にも人に言っていない自分の犯した過ちとかを、全部「理由」にして、創作を続けてきた。創作に限らず何か成果を出さなければならないときは、いつもそうしてきたようにおもう。

 おれは悪いことをしたから、その埋め合わせをしなければならないだろ。過去に悪いことをしてしまったやつらに、このままじゃ示しがつかないだろ。いつか会った時に、示しがつかない人間のままじゃいられないだろ。

 そういった、間接的な謝罪にさえなり得ない理由を理由として、おれは創作に限らず人生のいろんな契機で自分を奮い立たせてきた。思えばこんなのは、自分が自分の足で立てない臆病な腰抜けであることを、自分が過去にやってきた「信じられない罪」をエサにして封じ込めているだけの、極めて利己的で、何の謝罪にもならない、ともすればその被害者を肴にしているだけの行為だ。おれは過去の被害者をポルノにして、そいつらへの直接の謝罪からは逃避し続けて、何の贖罪にもならないことに贖罪を見出して生きる意味を見つけているだけだ。おれは贖罪に酔っている。おれは偽善にもならない偽善を続けている。そうとしか思えない。ただ一言「ごめんなさい」を言えなかったこと、今でもそれを言えないことを、長々と、滔々と、理由に並びたてて絵を描いているだけのクソ野郎にすぎない。

 

 だからもう、理由を求めることなんて終わりにしたい。

 過去の過ちは、たとえ許されなかったとしてもまずは謝るしかないし、行動で示すのはその後だ。そいつが何を求めているのか、何も求めていないのかを知る前に、自分の思い込みだけで偽善を働くのは二の次だ。そんな誰も望まないことで自分を燃やし続けることに限界が来ているから、おれは筆を握れなくなったんじゃないか?

 本当は「物事を始める理由」なんて、「やらない理由」と同様なほど、無限に湧くし特に意味もない代物で、結局は「何を描いたか」という結果でしか何事もはかれないんじゃないか。理由なんて、多くの「自分では立てない者達」が、自分にもできたらいいなあ、程度に求める言い訳に過ぎなくて、本当は偉人達が語る理由なんて、求められたから後付けで作っただけの言葉の道すじに過ぎないんじゃないか?原因があるから結果があるのではなく、結果があるから人は原因を考えるだけだ。原因が物事を作るんじゃない、過程は再現できない。ひとが創作にいたる経緯なんて、方法や理論を教示できても、その理由付けを事前に確実に行うことなんて不可能だ。そうじゃないか?そう考えて、「理由付け」なんていう不毛な時間の浪費から逃れる他、おれが筆をもう一度取る方法なんてないんじゃないか?

 人に向き合わず、まともに対話をすることも臆病で放棄してきたおれが、戦略的に結果を予期して物事を進められると思うか?観察を遠ざけ、自分への内向を求めたおれの青春と、その結果の今に対して、まともな思考を求め取り戻そうとすることこそ無謀でしかないんじゃないか?おれはまともな人間ではない、生きていてはいけないやつだという認識を改めたいなら、おれは創作なんてしている場合じゃない。そんなことをする前に取り戻すべき基盤がある。でもそれが嫌で、まだ逃避を続けたいなら、おれは狂ったまま筆を握る他、何がある?

 立てたんならその過程なんて人は気にしない。立って結果を作りだしたことだけが重要だ。そのための機械に成り果てたっていいから、おれは、何か作品を描き続ければいい。それが狂った人間として、道理に背いた人間として、正しく道理どおりに破滅するエンターテイメントじゃないか?

 まあ、進んで破滅する気は今のところないけれど、しかしその時になれば、おれは進んで破滅してでも作品を描き続けるべきだとおもう。その時は、過去の罪がどうとかじゃなくて、おれは生まれた時からそういうやつだったと、そう言い切って地獄へ堕ちたいとおもう。

 

 今後なるべく、罪の意識を感じた人間には、謝るように努める。それが全部遂行できる自信は、今までの自分の実績からすると、まったくないのだけれど。

 そして、その謝罪ができなかったことを理由にして、というか何かしらを理由にして創作に打ち込むのは、もうやめようとおもう。そんな「理由」なんてものは、創作以外の方法で解決できるようなことを、おれが逃避した結果に過ぎないから。そして、そこに込めたい何かは、贖罪でも絵を描くための理由でもなく、何か別のところから探すべきだとおもう。自分の経験が作品と切って切り離せないものだとしても、理由付けが支配的になるようでは、作品がおれの思想だけに支配されてしまってつまらないものになると直感できてしまう。これは、未だ言語化できないけれど、なんとなくの直感だ。

 おれは作品を作る機械だ。そうでなくてはならない。おれは誰かの為じゃなくて、おれのために、呪いをかけ続けようとおもう。理由なんてなくても走り続けられるように。

無力へむける灯火

 だれも手を差し伸べてはくれなかった。いや、出会ってきただれもが、"塞ぎ込んだ誰かに手を差し伸べて、その手を握り返してもらう方法"を知らなかったのだとおもう。

 

 

 おれは相談ごとを、特定の誰かに対して行うことが苦手だ。心の中のモヤモヤとか、心と体が乖離して空回る状況とか、もう嫌だと逃げたくなる内心を、たいていの場合、身近な誰にも相談せずにやり過ごす。それに失敗したときは、今このようにして、どこか不特定多数に向けた文章などの形にして残す。

 おれが特定の誰かに相談することが苦手なのは、こういった相談事は、相談者側のマイナスな発言に引っ張られて、被相談者側ごと無生産な慰めと同情に引き摺り込まれ、ただ時間を浪費するだけの結果に終わることが多いと実感しているからだ。おれが無遠慮に、内面を曝け出して相談さえしなければ、そいつの前進したい気持ちも、またそのための時間も、奪わずに済んだのに。ましてやそのように時間を奪ってさえ、おれはなんにも得ることができていない。そうして、無力感を解消するために行った相談は、さらなる無力感を植え付けて拡大させるだけの恐怖の伝播にしかならないと、おれは相談のたびに自覚することになった。その結果、おれは自分の内情を抱え込むことになったのだ。

 だけどおれも半端者で、相談事を誰に対しても完全に包み隠す、といった徹底はできなかったらしい。いくら自分の中に閉じ込めようとして、メモアプリに何千字、何万字、何十エントリと書き綴ったとしても、それをだれかに、発信ではなく、発散したくて仕方がなくなることがあるらしい。それが今だ。今こうやって記事にしたり、他にも、夜な夜なツイッターに放出しては後悔して消したり、そういったことを半端な罪悪感と半端な衝動の往来を繰り返しながら、止められずにいる。現実の具体的な人間を対象にすれば、おれは前述の「恐怖の伝播」「無力感の増幅」しか生まない「相談」を忌避するにも関わらず、インターネットに対してそういった情報を出すことには基本的に無遠慮だ。それは今のこの記事が証明している。おれはインターネットを、チラシの裏か何かだと、義務教育も終えていない年頃から続けて、未だに思っているらしい。

 画面の向こうにいる人に、何度会うことがあっても、具体的に言葉を交わすという経験を経た上でも、"ここで発信する言葉がその人たちに生身で届くかもしれない"という想像を怠り、こうやって暴力的なことばを投げつけることが、おれにはできてしまう。ふだん人に言わないから溜め込んでいるのだと、自分で自分を庇いたくなる気持ちが僅かながら滲み出そうなのは事実だが、しかしおれが実在する人間に対して、あまつさえ画面の向こうとはいえ必ず一人一人いるはずであろう人間に対して(その一部は実際に会ったことさえあるのに)、あまりに不義理だと言われても仕方ないし、実際おれは、こうやって暴力的な生身の感情を、インターネットを介した発信によって罪悪感を中和する、そんな自身の行動に対して、実在の人間を省みない不義理な行動だと評価している。それは逃れようのない事実だ。

 

 たぶん、数少ないこれまでの被相談者たちは、べつにおれに対して意地悪をしたとか、意図して解決を示さなかったとか、力になりたいと思わなかったとか、そういうことではないのだと思う。ただ単に、みじかいやり取りでは、没頭を経ないようなコミュニケーションとしての会話では、芯の部分の問題など到底共有できないのだと思う。ましてや人間は社会的動物だから、基本的にコミュニケーションに対して「同情」という解決を示してしまう。多くの場合、おれが相談をおこなってきた被相談者の取る行動は、同情だった。それは辛かったねとか、おれだったら耐えられないとか、怒りを共にするような人もいた。しかし、おれが真に求めていたのはそれではない。具体的な解決だ。

 おれは別に、同情がまったくの不要だとは思っていない。おれが人から情報を得る時に、相手が話し終えてまずこちらが返答する言葉は、たいてい同情だ。そうすると相手は、自分の主張が理解されたかもしれないというひとまずの了解を得て、安心することができると、おれが知っているからだ。会話を継続させ、たがいの真意を伝えあうために、同情というプロセスが必要であるからだ。しかし、どうにもおれは「解決」を求めているのに、同情で終わる「ただの会話」が多い。それで人間生活としてはいいのだろうけれど、しかしおれは、どうにも「同情」だけでは、おれの「相談」が解決し、前へ進むための一歩として成就したとは、とうてい思えなかったのだ。

 そしてさらに救いがないとおれが思うのは、数少ないながら「解決」を提示してくれた人たちの主張も、本当にこの上なく失礼なことを言うが、その多くは実を結ばなかったことだ。具体的にいうと、被相談者はおれの相談を受けて、「おれだったらこうする/こうしてきた」を、実体験とか、たとえ話とかを駆使して伝えてくれるのだが、まずそれに共感することがたいていの場合できない。これはおれの側の問題なのかもしれないが、しかし確実にいえるのは、「その提案・主張が解決に繋がるということが、論理的に、あるいは実践的につながっていない」ということが多い。おおくの場合こうやって提示された「解決」は、個人の主観、個人の感情、あるいは一般論であることが多い。おれの言葉にして言えば、「説明が不足している」。それはおれからの説明も、相手からの論理だても不足しているのだ。ここに、不可解な、認識の埒外の溝が存在している。

 

 このように、「相談に対する返答が、具体的な解決に繋がっていない」という実感をもたらす原因は、そもそも人間が、あるいは生命が、もしくは万物が、根本的に抱える問題が原因であると考える。その正体は「前提」、言い換えれば「生まれ育った環境、蓄積してきた経験、今持っている技能」にある。

 たとえば百戦錬磨の戦国武将がいう「人の殺し方」を、今日日、当時に比べればこのうえなく平和極まりない現代にいるおれに叩き込もうとしても、根本的には無理だ。

 まず、「殺す必要性」がない。基本的に犯罪になるし、自身と周囲の現在と将来にあたえる影響がこのうえなく大きい。たいてい衣食住の確保がそこそこ容易い現代において、略奪による拾得はハイリスク・ローリターンの極みだ。

 続いて、「殺す欲求」がない。まず上記の「必要性」がない時点で相当だが、おれはひとを殺すだけの憎しみを持ち合わせていない。そういうものを持っている人もいるだろうし、今持っていなくとも、何かしらの事情で次の瞬間に、殺したい事情が出てくるのかもしれない。しかし、殺すことが生きるために当たり前だった戦国武将が、殺すことが必要でない現代のおれに対し、一朝一夕に「殺す欲求」を植え付けられるとはおもえない。繰り返すが、この話は「被相談者が相談者に対して解決を教示するとき、その説明が不足しているとおれが思う理由」の話だ。つまるところ、これはほとんどこの記事でおれが言いたいことなのだが、"被相談者がおれの立場に立とうとしない/立てない時点で、「解決を求める実直な相談」は破談に終わる"ということだ。実に失礼極まりない主張だが、後に説明するので聞いてほしい。

 最後に、「殺す方法」を習得できない。これは問いの前提を追加して申し訳ないのだが、どれだけ殺したいと思っていても、どれだけ殺す必要性があったとしても、たとえばその殺したい対象が、この日本にはいないという情報しか自分は持っていないとしたら?あるいはその対象の生死さえ定かではないとしたら?相手はボディーガードで完全防備されており、肉体面でも精神面でもとても歯が立たないとしたら?そのような「できない」の理由を、無限にも思える障壁として並べられたら、おれはどれだけ「必要性」や「欲求」が盤石でも、殺しの実行が不可能だとして多くの場合諦めるだろう。あるいはおれがやる必要はないと理由をつけるかもしれない。

 

 こうした主張をおれがするのは意外だと思うかもしれないし、誰にも思われないとしても、おれ自身意外だ。つい3日前、本当に誇張でなく3日前ならば、お前、何言ってるんだよ、と、自分につかみかかりかねない勢いだった。強迫と使命感、「必要性」によって「欲求」を加速させてきたおれにとって、「方法」が見つからない程度で諦めるなんて馬鹿げている、そんな躊躇の時間はないんだぞと、おれならばおれに対し言いかねない。しかし、この2021年4月という一か月、創作活動にどうにも本腰を入れられない現実と、実はもうひとつ、意図せず「上手くいってしまっている」現実を対比して考えるに、「必要性」と「欲求」による理由付けがいくら大きくても、「方法」がまったく見えないんじゃあ人の心は折れるんだな、ということを、おれは嫌というほど実感してしまった。

 そして、おれの体感上、かなり多くの被相談者は、切実な相談者に対し、「必要性」「欲求」「方法」のすべてのピースを埋められるような、明快で、具体的な回答をすることができない。それはひとえに、ふたりの人間は別々の「前提」「環境」「能力」を持っており、まずそれを認識すること、それを認識しなければならないという問題に気付くことが難しく、さらにそこまでの労力をかけたうえでなお、その溝を埋めることはなおのこと難しい、という、そういうことが、「相談」が「解決」に結びつかない原因だと考える。

 

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 おれは青春時代に関心をよせるたいていのことに対して、無力感を募らせていた。その最たるものは、好きなもの、文化に対して一向に得られない理解と、それらの衰退を通した「自分の"好き"の否定、自己否定につながる現実」を、まざまざと見せつけられてきたことにある。そして一方で、その無力感を打ち破るように、世間の無関心を関心へと一点に向けさせるような、まるで、奔流に耐え忍ぶ長い日々を穿ち、天へと向かう滝を登る鯉のような、そういったアウフヘーベンのような存在に、一種の救済と、憧れのようなものを垣間見ることがしばしばあった。

 

 

 おれは小学校・中学校の時分から、イラストを描いたり、小説まがいのものを作ったりを、まあとても人に見せられたものではないが、しかし特定の誰かには打ち明けたいと密かに思いながら、さらにそのくせ実態としては、教室の自席の机に、授業中に妄想としてイラストを描き殴る、といった、まるで矛盾した行動を繰り返していた。先生にも見られたし、見られたくない同級生にも見られたし、休み時間に机を囲まれたりもした。見てほしくないのに、目につく場所に描く。見られると心がぞわぞわして、ときおり修復不可能な傷を負うのに、自分のやわらかいところを誰の手にも届く場所へ置く。そういった愚かなことを繰り返しては、下手だとか、おれの知ってるあいつの方がうまいとか、なんでそんなことをとか、嘲笑や侮蔑の対象にされてきたような記憶が、今のおれには鮮明に残っている。明確に認められたという記憶は、少なくとも埋没しているのか、どこにも見当たらない。だのにある時期は描き続けていたのだから、たぶん、褒められてはいたのだが、しかし認識として貶される言葉のほうがおれには深く刻まれてしまったのだろうとおもう。まったく実にならないことだった。

 おれの絵はオリジナルのキャラクターである時期もあったが、しだいに既存の作品から間借りした誰かを描くことが多くなった。そしてそれを貶されるたび、おれはおれの絵が、というより、おれの好きだった作品ごと貶められたような気がして、しかしおれに絵の力がないのだから仕方がないと、心底かなしい思いをしていた。あまり具体的に言いたくないが、信頼する人間の2人ほどからそういった言葉や行動を受け取ってしまった経験から、おれは絵を描くことを諦めた。それは単に絵が嫌いになったというよりかは、絵を描くことより楽しい現実、ゲームとか友達づきあいとか、快楽に近い日常があった、とか、それに、絵を描くかわりの表現を見つけたことが大きい。それは音楽だった。高校の時分になってからは、可能な限りの時間とお金を音楽への経験と実践、あるいはそれに通じると自分に判断したものへの投資に捧げたつもりだ。しかし、それは振り返ってみれば半端だったし、何よりそこでも、おれは自分の無力感と、それを通じた「好きなものを否定されるような感覚」を味わってきた。手を変え品を変え、考えていることを伝える方法を模索してきたが、どれも苦しい日々と、そこで戦う人への迷惑と、そしてそれに見合わない成果ばかりを繰り返してきた。

 こんな悲観的な見方は、おれの偏った物事の受け取り方であり、妄想に過ぎない一面もあると自覚している。ただおれにとって事実なのは、当時から「相談」をなるべく忌避した結果、おれの中での妄想、作り話、自己否定は、今やおれ一人では修復不可能なくらいに拡大してしまったということだ。これを破壊すべきなのか、あるいは自己のひとつとして受け入れるべきなのかはまだ分からないが、少なくともおれはいまだに、自分が好きだと思えるものに対して、大手を振って好きだと言える自信がひとつもない。

 おれがnoteでレビュー・感想に類する記事を書くとき、あれほど長大になるのは、自分の「好き」に対して自信がないのが一因だ。「好きだったら、もっと人に伝わるような表現にできるだろう。好きだったら、もっと表現を上達させて、それをだれかに共鳴したり伝播させることができるだろう。それが昔から、今でさえ十分にできないのは、おまえの「好き」が世間の皆様よりもずっと半端で浅いものでしかないからだ。」おれはそういう、自分への問答、半ば説教じみた一方的な主張を繰り返してきた。それを受け取るもう一人の自分は、黙って、はい、はい、とうなずく。そしてそいつはある時、目線だけをこちらに向けて、だったらやればいいんだろ、やるしかないんだろ、と、半狂乱で文字や絵の筆を執った。おれにとって創作の契機は、そこに至るまでの過程は、これだ。おそらく純粋だったであろう「好き」と、それを否定されてきたばかりで埋め尽くされた記憶、自身の無力に対し自責と後悔を繰り返す日々、その最中に生まれた「世界は残酷で、おれは無力で、それでもやるしかない」という了解。この過程にしか、おれが今まで描いてきた源泉はない。寂しい人間だとおもう。いつか「あの向こう側にいる人たちと肩を並べたい」と思った日々もあったのに、その彼らとも、どうにも目線が合わなくて、どうにも実力が釣り合わなくて、そしてどうにも話が合いそうにないと、未だに孤独を感じている。

 

 それでも、たとえ孤独に満ちた道すがらであり、これからもそれを辿るのだとしても、おれはこの無力感を払拭するために、自身の「できること」を拡げる他ないのだとおもう。この無力に押しつぶされて、「自分は無力で、生きる価値のない人間だ」という認識に埋没して無為に呼吸をしていくくらいなら、おれは好きなことを信じ続ける他ないのだとおもう。そうするほか、生き残る術はない。そうすることでしか、生きてこられなかったから、おれはそれ以外のやり方を知らない。

 

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 前述したが、おれはこの一か月、創作活動の筆が鈍っている。正確にいえば、以前ほどの時間をかけて完成したイラストは1枚たりともない。内情はめちゃくちゃだった。焦っていたし、閉じこもっていたし、なるべく人との接触を避けたし、断食を始めたと思ったら過食になって、手を付けるまいとしていたゲーム始めたと思ったら一日で辞めて、かと思ったら数日で手を付けはじめて、ダメだダメだと絵を描こうとしては、少し筆を進めては自己否定して、進まないだけの日々が続いた。

 

 この一か月何をしていたかというと、おれは通信制芸術大学へ入学し、初歩的ではあるがイラストに関する講義を受け、授業課題に取り組もうとしていた。そこで紹介された内容は、既存の絵に対する見識を一新するような素晴らしいものであったし、そこに価値を感じて、出来得る限りの板書をおこなった。それを読み返しては意義を感じたし、実際に十何枚かの既存のイラストについて、トレースしたり、構図や色や絵の伝えたい意図を分析した。その時間はとても楽しかったし、これらの山積が、いつか自身の表現に繋がると確信していた。それが、4月半ばごろまでの記憶だ。

 それから4月も後半にさしかかるころ、おれは、今まで描いていたイラストが描けなくなっていることに気付いた。考えれば当然だった。おれは短期間に、絵に対する様々な構図や色の考え方を詰め込んだことによって、「人を惹きつける絵とは、一朝一夕の感覚やひらめきによって成り立つものではなく、いくつもの先人の理論や、それらを緻密に組み合わせることの山積によって成り立つものなのだ」という実感を強めていった。それは実践の量に対してあまりに不釣り合いであり、いわゆる「頭でっかち」の状態だ。頭ばかりが、理想ばかりが先行して、しかし具体的に絵を描こうとするとき、「おれは習ってきたことを、どうやって実現させればいいんだ?」ということに悩むことが増えた。あまりに増え、頭を抱えることが、以前にも増して増えた。しかし考えることが増えたのだから、通話を繋いだりして集中を切らすわけにもいかない。音楽もなるべく切ろう。そうやってパソコンと液タブのファン音と、路上のブレーキとクラクションの音以外は聞こえない夜の部屋で、ひとりごちる日々が続いた。

 

 ここでおれが感じた経緯をより仔細に言語化してみる。結論から言えば、「美味しい魚がどういうものなのかはわかったが、どうやって魚を捕ればいいのかわからない」といった状態に、おれはおそらく陥っている。

 

 まず、芸大に限らず、講義・講座・それに動画配信といった、複数の人間を一気に指導する方法には、人に対して指南できることに対して限界がある。とくに、おれが前述した、「必要性」「欲求」「方法」という、人が心を動かされるための重大な3要素に対して希求することが、この「複数を対象とした講義」は苦手だ。ただし、時に過激な発言によって「必要性」「欲求」を焚き付けることはできるだろう。しかしこの「方法」は、指南がすこぶる難しい。とくにおれのように、要領が悪くて、観察力のない者に対してはなおさらだ。しかしおれは、この「方法」の指南は、単に要領とか観察力ではなく、そもそも講師・生徒の「認識の溝」を埋めることが、講義という形式上、構造的に難しいのだとおもっている。

 たとえば構図の授業で、「こういった形のモチーフを、こうやって配置すると、最も伝えたいAというテーマに対し、読み手の目線を集中させることができる!」という方法論を提示いただいたとしよう。そして講師は、ある程度の参考例や自身のドローイングを通じて、簡潔ながらもその効果が作品として生成されていく過程を提示する。おれはそれを実感し、自分のイラストにも活かしてみよう、と考えをめぐらす。しかし、おれが思うに、これでは実践に際して不十分な情報がいくつもある。まず授業という時間に枠があることが原因で、これらの「実践例」は点数が少なく、解説も少なく、何より時間が「イラストの構想~完成」には到底及ばない短時間である。さらに、質問と回答にはタイムラグがあり、あまり密なコミュニケーションを望めそうにない。つまるところ、まずは最も欲求に、要望に正直になるならば、おれがもっとも見せてほしいのは、「"具体的に"どうやったら"自分が期待した"イラストが出来上がるのか」である。

 もちろん、これら基礎的かつ包括的な学習がまったくの無為だというつもりはない。こういったことは、ある時、木の幹が、地図が、急激に回路や視界を拡げ、ひらめきのように開花し、知識が知恵として、実感として長く根付くような瞬間を迎えることもあるだろう。しかし、よほど利口で、よほど運がよくなければ、こういった機会をもとに実践へ繋げるための「気付き」を得ることは、おれにはあまりに難しいとおもう。おれの寿命が無限ならば、こんなことは言わなかった。悠長に構えていられるなら、学びの楽しみに浸っていることもできた。しかし、おれには、おれの20代には、時間がない。いくら「焦るな」と言われても、事実、時間と機会は喪われ続けているのだ。

 

 やってみせ言って聞かせてさせてみせほめてやらねば人は動かじ

 という、錆のついたような(と言うには失礼だが、しかし頻繁に聞く)言葉がある。これは価値観のひとつであり、何事にも適用できるとは限らないという前提があるが、しかしおれはほぼ確実に、何か物事を動かすとき、変化をもたらしたいときに指針となる考えだと確信している。

 これは連合艦隊司令長官山本五十六の遺した言葉であり、おれがこの言葉を実感を伴って聞いたのはついひと月ほど前だ。生活のために日々労働に従事している会社で、たまたま業務上協力関係となった先輩から、話の流れで聞いた言葉だ。

 この業務は、先輩が重点的に関わることになるよりも前、20年12月ごろから激化してきた業務で、そのころはおれが主体となって回していた。しかし初めて行う複数の関係者をまたぐ主体的な調整、工程と実現性とコストを鑑みたトレードオフと決断、そして何より「この人達が何を危惧しているのか」を理解することが、おれの頭にはまったく追いつかなかった。ひとつの見当に2週間、3週間、4週間と時間がかかり、「なかなか決まりませんね」という言葉も聞こえてきた。そこにはおれが前にいた課の先輩もいて、遅れれば遅れるほど、判断を間違えれば間違えるほど、彼らの重荷が増えていくことは明白だった。この人たちの時間は無限ではない、ましてや自分よりもずっと重い。おれは焦っていたし、悔しかったし、しかし仕事以外にも大切なことがあって注力しきれず、どうすればいいのか袋小路の状態だった。そして、4月頭、先輩が主体的に業務をフォローしてくれる形となった。

 もうこの会社に勤めて4年にもなるが、先輩の流暢な語り口と、明瞭な「これからやるべきこと」の説明、認識合わせは、かつて社内で見たこともないほど見事だった。その話の場末に、こんな埃を被ったような言葉をいうだなんて人ははじめて見たから、ますます驚いた。それも二者の対面ではなく、おれと、おれの後輩にあたる人がいる三者で切り出したのだから、単なる洗脳とか、二人だからいえることとかではなく、本当にこの人は、おれたちにこのことを伝えたくて話している。前提として、この人は目に見えて優秀な人であり、少なくとも社内各部署からの信頼という意味では、この人を置いて他にないほどだった。手際の良さと話の明瞭さ、相手の発言を聞き取る姿勢、従来の慣習でなく常識的に考えるといった判断、そして何より「困った時に相談したくなる」ような人物像は、繰り返しになるが、これまでの会社生活で見たことのないようなものだった。

 彼が言うに、この言葉は"やってみせ"の部分が重要であり、教育の立場において、この"やってみせ"を実践できている人が、今社内では確実に減少している、とのことであった。"言って聞かせて、させてみせ"は、割と誰でもやる。しかしこの言葉にもあるとおり、実際にどうすればいいのか、具体的に何をすればいいのか、それを教育者みずからの実践によって背中を見せてやらないと、生徒は動かない。だから、会議の案内だけは君たちに任せて、その中で話す内容と議事録は自分がやるから、まずはそれを見ていてほしい。そして次第に、自分のしてきた業務をできるようになってほしい。

 おれは彼のいうことにしたがって、彼を招いて会議を開催した。本来こっちが請け負うべき調整を、彼は進んで行ってくれた。これほど業務を跨げば、上司に怒られるかもしれないが、それでもこの「業務と業務の間、課と課の間、人と人の間で、双方が何をしているかを知らないと、その間を調整することはできない」という理由で、彼は献身的に各課の話を聞き、迅速な決断と、必要な上への相談をこなしていった。「このレベルの話になってくると、上の人にマークされるから、そこは事前に押さえておこう。上の人には自分から話すから、各課へはこういう風に説明をお願い」。次第に教育は、方法論の教示と"させてみせ"のフェーズに移行した。もちろん最初から上手くいかなかったし、未だに疑問に思った箇所、分からない箇所は長文になりながらも相談するが、彼は必ず一日おきにメールを丁寧に返してくれ、具体的な方法としての一案も提示してくれた。そうして一か月経った今、おれは彼がかつて調整を働いていた課や、上の人から、一か月前よりも確実に成長しているとか、迷いがなく的確な判断で素晴らしいと感じたとか、なんだか過大にも思えるような、今まで言われたこともないような評価を得てしまった。信じられないことだったし、はっきり言ってしまえば、自分の認識と見合わない評価を受け取ってしまって、吐き気がした。おれは無力を感じたくないのであって、曖昧で地に足つかない「評価」を得たいわけではないのだな、と、イラストの経験からもなんとなく実感した。

 

 ここで考えたいのは、どうして仕事において、ここまで成長を遂げることができたか。いや、それよりも重要なのは、今おれが陥っている創作活動の鈍りという現状と対比して、なぜここまで続けられたか、ということだ。

 最後の「評価」の段は、事実である者のストーリー立て上の説明にすぎず、こんな評価がなかったとしても、おれは先輩のいうことを聞いて、調整を続けることができていたとおもう。なぜかというと、おれはこの一か月の過程を経て、少しずつ、しかし確実に、自分にできることが増えたという実感を伴っていた。これは言いかえれば、相手の主張と相手の仕事を知れば知るほど、自分が物事を動かせるようになるという因果関係から、知的欲求、単なる興味としての開花も伴っていた。そしてそこに至るまでには、"やってみせ、言って聞かせて、させてみて"という教育の過程から、自分にもできるかもしれないという意識の転換が生じていた

 

 思うに、自分も含めた「人」が動くための条件の一部として、下記が挙げられるとおもう。

■着手し、問題を認識し、問題提起を行う。「必要性」の提示、そこから「欲求」への転化。

■問題に対し、具体的解決の方法を知る。見る。自分にもできるかもしれない、という実感を得る。

■知的欲求、疑問点の解消に努めながら、実践する。わからないを一つずつ潰せば、徐々にやるべきことが見え、できることが増え、もっと増やしたいと自然に思える。

 

 こういったフローを経て、おれはいまの仕事をそれなりにこなせるようになった。もちろんしんどい。時間も奪われる。それに伴う焦りも完全に消えたわけじゃないし、イラスト制作に対して意識がもっていかれることもある。しかしおれは、真摯に向き合えば、疑問に忠実になり確認して、一人一人の主張に向き合えば、それなりに解決の糸口は見えるものだと実感し、それが素直に、楽しいとおもえた。それは評価につながったし、成果につながった。こんなにも「楽しい」と「成果」が結びついたのはいつぶりだろうと、思い出せなくなっていた。

 

 

 いまのおれの創作活動に不足しているのは、自分を焚き付け、追い込むことによる「必要性」の増強ではない。無理に自分を塞いで、苦痛の中に「欲求」を見出す、あるいは欲求を押し殺すような真似をすることではない。

 実感がない。「できる」という実感が、「方法」を知れたという実感がない。この一年間のイラスト活動を通じて、おれは壁を殴り続けてきたような感覚だ。本は作れたが、それが多くの人に伝わるようになったかというと、まったく駄目だとおもう。このまま続ければいつか誰かに伝わる力がつくかというと、まったく駄目だとおもう。全然、自分の絵を直視できないし、また客観視もできない。

 おれはまだ、実践的な作業を何もしらない。画面の向こうで、そのモニターだけを映している向こうで、作家がどこに目線を奔らせ、何に逡巡し、何を考えていて、どういう順番で物事を考えて、誰と相談して、何にしたがって描いているのか、それがおれの乏しい観察力では、講義や動画の向こうでは悟ることができない。

 

 もっとも欲に忠実にいうならば、生きた師に、この眼で、この眼前で説明してほしい。おれの表現したいことを伝え、そのための道すがらの一つを、みずからの背中で"やってみせ"て、おれにも「できる」という感覚を、どうにか与えてほしい。大して難しいことではないと思うのだ。こんな忙しい現代でさえなければ。ただこの星の下で、そういうよき理解者に巡り会うことができるのであれば。

 本当にみすぼらしいお願いだとおもう。おれは、自分一人で生きていくしかないと思っていたから。本当に大事なことは、誰にも伝わることはないと思っていたから。それを観念して、「伝わるかもしれない」という希望をふたたびもって、おれは「教えてください」という懇願をしたい。それを実現できる誰かを探したい。

 

 さもなければおれは、青春を捨てる覚悟を持たなければならない。この焦りを排斥し、地図もわからない基礎的・包括的・部分的な学習を、いつか花開くと十年余り、いやそれ以上に待つ覚悟をしなければならない。おれはこれがどうにも苦手だ。だから、せめて疑問に答えてくれれば、せめておれのやりたいことを聞いてくれれば、せめてその活動の背中を可能な限り追わせてくれればいいから、そういう人に出会いたい。でなければおれは、ずっとこの無力に苛まれたままだ。無力にさいなまれ、同じような人を横目で見ては、彼らに何も示せないと、おれもただ無力感を強めるだけだ。そんな繰り返しはもう嫌だ。

 

 

 という、以上のようなことを、おれはあまり人に先立って相談できないので、まずは文字に起して整理した。この文章がインターネットを通じて誰かに伝わることはなくとも、まずはおれの「相談」に対する忌避を打ち払う一歩として、この文章をうまく活用できることを願う。

いつまでも口に入れたいものと、ただの羽虫

 極めて安直で、ただの老化に基づく感性なのかもしれないと思いつつ、自身のここ一か月くらいの内情を吐露すると、SNSやソーシャルサービスに投稿される、イナゴの大群のような、味があるのに奥行きがないような、人のようで人でないような、そういった文章の羅列を見るのが、以前にも増して極端に、しんどいとおもうようになった。

 これは、ただ単純に文字を見るのが辛いというわけではない。仕事では何時間もぶっ続けで会話を続けるし、一日に何千字も手打ちで入力しながら情報を整理し、その結果を人に向けて展開しては、フィードバックをもらったりもする。ならば仕事で疲れているのか?といえばそうでもなく、仕事の休憩時間で本(大学の授業課題だが)を読破したりとか、自分の過去のnoteの文章を読んでは思考を深めたりとか、そういうことは日常的に繰り返している。では、なぜ取り沙汰して、SNSの文章を見ることをしんどいと思うのか。

 

 現代は「自分で情報を取捨選択しよう」と巷で囁かれるほど、望むと望まざるとに関わらず、様々な情報が目に入る。特にソーシャルメディアにおいては、閲覧者であるこちらの時間を1分でも1秒でも奪わんばかりに、次々とサムネイルや最新の情報を投げつけてくる。昨今において検索エンジンは、近しいキーワードや関係者と思しき別々の情報を抜粋しては、一見繋がりがあるようで、実は繋がりのない情報を敷き詰めて提示する。

 「一見繋がりがあるようで、無い」というのが、おそらく重要なことだとおれは思う。おれたちは繋がりがあるような情報に騙されて、延々とおすすめ動画やタイムラインを読み漁る。目立ったツイートのリプライを見て、気になる人のユーザーページに行って、メディア欄をいつまでも読み漁る。あまつさえ、別の目的でそのサイトを開いたのだとしても、関連があるようでない情報の海を、いつまでも、いつまでも漂って、われにかえったときには、ただ過ぎた時間と、何のために浪費したのか分からない徒労感が降り積もって圧し掛かる。

 

 おれはどうもこの瞬間が嫌いだ。

 騙された、というより、おれは騙されるようなやつだったんだ、という気持ちになる。

 

 ここで「騙される」ということは、何かを何かと誤認していることだと定義付けたいと思う。その「何か」とは、能動的に、明確な繋がりを、あるいは明確と確信できるような繋がりを辿ることで得られる『達成感』と、ただ繋がっているようで何の関連もない情報の羅列を目に入れ続けることで得られる『空虚な満腹感』だ。

 おれは空虚な満腹感を味わった時、どうしようもなく、気持ち悪い気分になる。両者とも、経過で得られる没入のような感覚は似ているのに、おわったあとに得られる感覚がまるで違うのだ。

 たとえばnoteでレビュー記事を書くとき、おれは対象を能動的に理解しようとして、さまざまな情報と情報の線を繋げ、自分なりの考察を繰り広げようとする。これは情報をただ目に入れる行為とはちがい、その情報を使ってなにをしようとしているか、おれ自身の意図が明確だ。たとえ触れる情報のすべてが意図にかなわなかったとしても、次に何を見るべきかが明確にわかる。情報と情報は繋がっている。なぜ彼らがこう考えたのか、なぜこういった事実が起こったのか、なぜおれはこういった考えに陥ったのか。これらが結びついて関連付けられたとき、俺は確かに、情報同士に「明確な繋がり」を感じるし、そこで得られるのは、まるで深い水底に息を止めて潜り込み、その呼吸が止まる寸前までただ進んで、ようやく水面へと這い上がったときに見る景色のような、清涼感を孕んだ「達成感」である。

 いっぽうSNSソーシャルメディアを見るとき、能動的な情報収集の意図がない限りは、おれはその情報をただ自分の目と脳に向けて、大量に、煩雑に放り込むことになる。これらが気持ち悪くて仕方がないのは、多くの場合これらの情報は文脈があるようでないという点に尽きる。タイムラインやサムネイルの数々で飛び交う喜怒哀楽、悲喜交々は、みな、語っている内容が同じようで、前提となっている部分が確実に異なっている。これが、会社の仕事とも、能動的な情報の線の探求とも、まったく異なる点である。タチのわるいことに、これら雑多な情報は繋がりがあるように「見せかける」ものだから、おれはふと目に飛び込んだ語気の強い言葉に惹かれて、なぜこの人物はそう考えたのか、ということを考えて、様々なリプライやコメントの線を辿ったりする。しかし、多くの場合、これらの言葉たちはおなじ視座での会話ができていない。これらは会話ではなく、呟き、叫び、祈りにすぎない。それも、前提を交えない、何を願っているのか、なぜ願っているのかを整理しない、まったくの繋がりのない言葉が、まるで繋がりがあるかのように振舞うのだから、おれはそれらを深く読み込もうとして、しかしそこに何もないことに気付いて、甚く疲労してしまう。辟易してしまう。しかし、腹の中には「もうこれ以上押し付けないでくれ」といわんばかりの「満腹感」が鎮座しており、いっぽうで満腹感の権化となった情報からは何の繋がりも得られず、おれはただ「空虚だ」という、矛盾した気持ちを抱えることになる。

 こうやって、おれはソーシャルメディアを見るにあたり、壁を殴るような、糠に釘というような、まったくの徒労を積み重ねてきたようにおもう。もちろん、それら情報のすべてが無駄だったわけではないし、得られたものや人も大きい。しかしながら、それに見合っているのか分からないくらい、おれはこいつらに時間と労力と、そして人に対する信頼を吸収され過ぎた。まるで人間のような言葉で綴られる文字は、しかし人間らしい前提を理解させようとはしないで暴力的に羅列されるのだから、おれはそこにいる人間がどうも嫌いになりそうになって、踏みとどまって辛い気持ちになる。

 

 文学にも科学にも、そのことばには、情熱であれ記号であれ、ことばを書いた意図があり、背景がある。それを理解することは、疲れて眠るまではいつまでも没入していられるし、その海の中に潜っていくことは、苦痛を孕みながらも、しかし確かに線を辿るような、いきた人の軌跡をたどるような幸福感を与えてくれる。

 おれは人と話すことが怖いし、その人の時間をうばうような質問をすることが苦手だ。しかし、文脈をたどるためなら、その人の背景を少しでも理解して何かに反映しようとする働きかけならば、多少は乗り気になれることに気付いた。そうやって他者の血肉となる時間を喰らってまでも、文脈と背景をたどることには価値があり、むしろその価値をおれは死んでも活かさなければならない、という気持ちになるのだ。

 他方、ただ羅列されただけで、ただ吐露されただけで、背景を考える契機を、それを吐き出させるだけの思考過程を与えないような場において、ただなだれるだけの情報は、それを言う側も、聴く側も、果たして何も得ていないのではないか、という面持ちになってしまう。それらすべてが無為ではなく、また無為だからこそ存在価値がないというわけではないだろう。しかし、おれは単に、どうもそれが息苦しくて、人間を嫌いにさせそうで、居心地が悪い。

 

 こんなところに承認を求めたから、気が狂ってしまったのだとおもう。

 だから最近あんまり見てないけれど、そこはもう、おれの平静を保つために、あるいはおれの創作を保つために、赦してほしいし、赦されなくとも、おれはあんまり、そういった羽虫の大群のような言葉を視界に入れたくない。

 

 こんなことばかり言うのだから、最近はどこも居心地が悪くて、本と、理論と、作品と、ただ目的を同じとする前提を持った人たちの集団に安寧をおぼえて、おれはインターネットからすっかり遠ざかってしまったようにおもえる。

 おれはどこに行きたかったのか、その答えはわかるようで、もう分からない。しかしそんな今でこそ、おれは行くべき路を仮定して、目標に到達するための計画を立てていて、足を止めれば死ぬと自分を脅迫していて、そのくせ得たいものは何一つ得られなくて、尊敬すべき他人から奪ってばかりで、つくづく、救いがないな、とおもう。

この手を血に染めたなら

 今からする話は他人の受け売りなのだけれど、受け売りでさえも10年も続けていれば、まるで自身の内にもとからあったかのように深く根付くものだ。ある時おれは、間違いなくこの考え方を一日に何度も反芻して覚え込ませていたし、その結果この思想は、あらゆる出来事に対し自然的な反射として導かれるほど当然の摂理になった。

 もはやこれが、おれがもとから持っていた何かと相性のいいものだったのか、それともおれがただ憧れや希望を一心に反復を繰り返すことで自己洗脳を果たしたのか、それは分からない。おそらく、そのどちらもなのだろう、という感想だけが転がっている。

 ひとつ言えるのは、おれは自分で自分の背中を押したということだ。

 

 人間にはいろんな奴がいて、そいつらはひとつの物事をとっても、一人一人考え方が微妙に、あるいは大きく異なる。ひとつの物事の理解でさえ違いがあるのだから、複数の物事の理解にはより大きな差が生じたり、あるいは不思議と、一つ一つは違うのに、複数となると同じ方向に収斂したりする。殺し合いはよくない、とか、人には優しくしよう、とか。そいつら同士の考え方はまったく異なるのに、なぜか結果として同じ方向を向いたりする。ただし、このような結果だけを見ると、「そいつらの独立した考えの積層がなぜか同じ方向を向いた」という集合的無意識なのか、あるいは空気に気圧され、流れに身を任せ、思考をある程度放棄したうえの秩序として形成される「答え」なのか、あるいは誰かが何かの目的のために流布した無根拠な「常識」なのか、もはや見分けはつかない。

 けれどおれには一つだけ決めたことがある。状況がなんであろうと、どれほど絶望的で安全に乏しくても、現状を理解して自身がこれしかないと選ぶ道ならば、「おれがおれの背中を押したんだ」と認識する。

 

 それができるのは、この世界の残酷さを了解しているからだ。その全貌を理解していなくとも、この世界はきっと苦痛と悲哀に満ちていて、それだけが逃れようもない事実だと認識している。

 絵を練習することは苦しい。作品を発表し、他人の成果とならべて自分を認識することは苦痛だ。

 日々を生きることは苦しい。ただおれが話すだけで、だれかが大事にしていた考えを踏みにじり、その芽を摘むことがある。

 だれかを想うことは苦しい。どれほど何かのためと願おうと、そいつを翻って傷つけ、道の邪魔をすることがある。

 

 その中にいかほどの喜びや恵みがあろうと、ただ一滴の苦痛や後悔が介在するならば、おれは致命的なほどその場から動けなくなっていた。

 おれはある時から、自分が周りに与える富なんて些細で、ただ息をしているだけで周囲の人間の時間と労力を奪って生きていると、毎秒毎秒認識している。おれが生き急ぐのは、ただ呼吸をするだけでは、おれは誰かから奪い続けるだけだと考えているからだ。おれが考えるのは、焦って手を動かしても、その先でトラブルを起こし、誰かの大切な時間を奪うことが起こるからだ。

 おれは何も奪いたくない。誰にも奪われたくない。なのに、生きているだけで悪意がなかろうと、おれたちは誰かから何かを奪い続ける。日々何かを選ぶのが人間だが、自身の選択で誰から何を奪うのかが決まっていく。それが生きていれば当然起こり得ることで、生きるということは何かを選び続けるということであり、何かを選ぶということは略奪が発生するということだ。

 「持ちつ持たれつ」なんて綺麗な言葉があるけれど、おれからすれば殺されて殺しているという事象にすぎない。それも、そこには憎悪や悪意が存在するのではなく、ただ生理現象のように、あるいは自然の摂理のように、殺して殺されて、奪って奪われて、そうしていつか土に還るという現実が横たわっているだけだ。身の回りのあらゆることで、そういった無自覚な残酷さが転がっている。おれには世界がそう見える。

 

 だからおれは、「世界は残酷だ」ということを了解することに決めた。それをもう10年も頭に刻んできた。はじめはそんなはずはないと信じる気持ちもあったが、今ではすっかりその思想に洗脳されている。自己洗脳したのだ、とおれは思っている。

 この考えが画一的な答えではないだろう。世界がもたらす喜びの一面に意識を向け、それに出来る限り素直になることもできるし、あるいは残酷であろうと喜びに満ちていようと関係なくただ流るままに身の回りを自然と受け入れることも、一つの生き方だろう。だがおれの場合はそれができなかった。生きているだけで他者を蝕んでいるのが人間だという考えが、深く根差しているからだ。

 何かをしない限り、生まれてしまったことの帳尻合わせはできないと、そしてそれをする責務が少なくともおれ自身にはあると、強く、強迫的に、視野狭窄的に、おれは思い込んでいる。そうやって自分を客観視して認識してもなお、おれは「世界は残酷だ」という理解と、身を滅ぼそうとも進まなければならないという解は離れることがない。

 

 自分でその道を選んだ結果、どれほどの苦痛に苛まれようと、どれほどの害を他人に与えようと、それが自分の目的へ大きく関係するようなトラブルでなければ、おれが歩みを止めることはない。

 その先で「歩まなければよかった」という後悔が待ち受けていようと、ただ暗澹としたまま何ひとつ明らかにならない地獄が待っていようと、おれは前に進み続けるしかない。

 さもなければ、「奪い奪われるくらいなら、この世を降りる」という選択を取るしかないからだ。おれが弱いから、奪うことをやめて奪われる側として生きます。あるいは、奪うも奪われるも嫌だから、おれはこの世から去ります。ということを了承するほか、おれが歩みを止める方法はない。

 おれが歩むのをやめる時は、それはおれが自身は世界に害をもたらすだけの存在だと、生きるだけで他者を蝕み続けるだけの荷物だと諦めた時だ。それは絶対に許容できない。そんなことを許容したら、おれは過去に蝕んで苦しめた数々の人に、あるいはその事実を知っているおれ自身に、いっさいの顔向けができない。息絶えるその瞬間に、おれは生まれるべきじゃなかった、という結論になってしまうということは、おれが彼らを傷つけたことが何の意味もなかったことになる。

 

 おれは残酷なまでに、意識するとせざるとに関わらず、他者の血肉を喰らって生きているのだから、そこで他者に喰われることは当然起こり得ることだ。

 そして、その日に備えて今日を生きなければ、おれは自分が喰らい傷つけてきた数々と共に喰われる。仮に備えたとしてもその日は来るのだろう。だけど、どうせ喰らわれるのなら、ありふれた砂粒ではなく、ダイヤの原石として喰われたい。おれがもし誰かに喰われたなら、おれを喰ったそいつに対してそうであってほしいと願うだろう。だから、おれはおれが喰ってきた奴らのために、あるいは自分をいつか喰う奴に願いを託せるように、おれがおれを諦めて生きるわけにはいかない。瞬く星のように、他者を喰らって燃やすこの命を、「生まれるべきじゃなかった」なんて結論に陥れることは、あってはならない。

 さもなければ、おれは自分が喰ってきたやつらごと、何の糧にもなれなかったという耐え難い悔恨の中で死ぬしかなくなるのだろう。

 

 この世は地獄だと、残酷の極みだと了解していれば、自分が選んだ道の先でどれほどの光景が待っていようと、おれは進み続けることができる。それが自身の目的を大きく侵害するものでない限り、おれはそこで歩みを止めることはない。笑顔も喜びもあるのは事実だ。だけどそこに苦痛と後悔が、懺悔と憎しみが、あるいは意識さえもないただの事象としての殺戮が転がっているのも確かだ。おれはいつかそいつらに殺されるのだろうし、今まで傷つけられてきたし、そして同じことを他人にもしてきた。だから、おれがどれだけ残酷さに傷付けられようと、それは当然だと了解できる。

 作品をつくることがどれほどの苦痛に満ちていようと、それは当然起こり得ることだと了解できる。どれほどの地獄であろうと、おれの背中を押したのはおれで、その先で何が起きても進むことを覚悟して道を選んでいる。

 

 そうしなければ生きていけなかったんだ。

わたしだけがいる水底

 他人と比較することがひどく増えた、とおもう。

 

 本日、異なる二者の偉大なる方から、「感動している方が筆は早い、描ける枚数は多い、つまり絵は上手くなる」「感動が枯れてしまっているなら筆を止めてでも恢復を図るほうがよい」という訓示を得た。

 それを聞いておれは、自分のなかにそういった感動と呼べる灯はいまだ輝いているか、おれはただ源泉を失ったまま、乾いた瞼のまま、あてどもなくただ「上手くなりたい」という理由も原因もわからぬ機械的な情動にしたがって前進しているだけではないのか、といった自問の波におぼれることになった。きっと、このような言葉をかけられる前から、おれはかつて自分のなかにあった衝動というか情動というかが、何かに変質したか、あるいは消え去ってしまったことを薄々勘づいていたのだとおもう。

 

 その筆を握れないのは、その筆を握るよう機械的に設定していないからだ。

去年の今ごろから、おれはそういう風に考えていたとおもう。これもまた誰かから得た言葉を変形したものなのだけれど、つまりは成果を出すことにおいておれはおれの感情を信用していない。

 感情を優先すれば意味もなく脇道に逸れる。突然にゲームを始めて全部終わるまで二度と創作に戻らない。唐突に本を読み漁って連絡もまったく通じない。そういったことを繰り返してきた。それがインプットだと半ば言い聞かせてきたけれど、まったく何の積み重ねにもなっていないことに数年遅れで気付いた。そのころにはおれとおなじ足で創作を始めた人たちははるか向こうに行っていたし、おれは元来、放っておけば何もしないやつなんだと、痛いほどに思い知った。

 だからおれはおれに絵を描くことをプログラムすることに決めた。そうしなければ気持ち悪くなるように仕向けた。ただし、その習慣が絵の上達、成果に繋がっていなければ容赦なく切った。そうやって適応する苦しみと、慣れた習慣を手放す怖さと向き合って、この一年絵を描き続けてきた。

 それが絵以前の創作で何の成果も出せなかったおれに対する贖罪だ。

 

 空腹で動けなくなるのは満腹を知っているからだ。

 極度の眠気に耐えられないのはそれに慣れていないからだ。

 失意へと堕ちるときに立ち上がれなくなるのは感動をしっているからだ。

 とにかく、おれは足を止める要因を、習慣化を止める要因を排除してきた。それにはおそらく、おれが怠惰の海に沈んでいた時にふつうに横たわっていた感情も含まれているのだとおもう。それが必要だったのか、あるいは不必要だったのか、それはいまだに分からないが、なにしろ元あったものが欠落しているような感覚は拭えない。

 

 おれは、喜びや楽しみというのを素直に受け取らないように、それを消費したいという欲をやり過ごして生きているようにおもう。たとえ描きたくなくても描く。それが本当に筆を執るべきときに必ず役にたつ。それができなければ同じ後悔を繰り返すだけだと、呪いのように繰り返している。その後悔を感じるときは否が応でもいつか巡りくると、半ば強迫のように自己へ刻んでいる。

 けれどそんなときに、「感動がなければ上手くならない」だなんて言われると身を斬られるような思いがする。

 

 情動にしたがった結果、筆ではなく、統一性のない享楽に興じたおれの四半世紀から得た反省と教訓を、おれはただ実行しているにすぎない。さもなければ永久に、描きたい作品など描けはしないし、支えになりたいときに何一つできない。そんな苦しさをいつか味わうくらいなら、目の前の享楽や消費など要らない。フィクションでなく半ば本気でそう思っている。

 そしてこの考えはおおよそ、誰の共感も得られたことがない。無理をするなと、頼むからまともに生きてくれと、それで倒れられたら迷惑だと言われる。だけどおれには、これ以外に平静をたもって生きる術がない。そもそも倒れるなんて思っていないし、それができなければそれこそ生きながら死ぬだけで、なら死んだって生きた方がマシだとおもう。それがダメなことだというなら、こうやって身を捧げるほかに、どうやって流れる星々に追いつけばいい?気を抜けば永劫の怠惰に沈んでにへらと自嘲気味にわらうだけの生き方しかできないおれに、これ以外どういう方法で、怠惰ではなく前進へと向かう方法を教示すればいい?そうやって何度も後悔を連ねて、重ねて、自分を呪ってきたおれを、ただ狂うほどに鍛錬と人並み外れた道へ導く以外に、どうやって許せばいい?

 

 たとえ理解を得られなかったとしても、自分の過ごした時間を根拠に進み続けるだけの気概がほしい。感動がなければいけないと言われても、おれは感動や情動にただ従うだけでは何もできないんだ、ということを、誰かに意見を求めるでなく、誰かの否定を得たとしても、それでも自分で決めたことだと進めるだけの継続がほしい。

 もしそんな生き方が身近に認められないのなら、ならいっそ関わりも断ってお互い消息もしらぬままでいたいとすらおもう。

 

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 ここまでひどく否定的なことを言ってきたように思うけれど、おれは「感動がなければ」という点に関してはとうにクリアしているじゃないかと、ここまで書いてきた結果思っている。

 寝ぼけて重力に揺られる頭の中で、SNSを見たい通話をしたいという一過性の気持ちを押さえてキャンバスをにらむ間、おれは片時も、なにをしたいかということを見失ってはいない。それは人と比較すれば、理解には程遠くて、意味不明なものかもしれないけれど、しかしおれにとっては明瞭だ。比較できないことを劣っているように見てしまうだけで、ただ事実、灯は存在している。

 

 おれは、ため息がでるほど、失意の底にいても見開いて見上げてしまうほど、輝きをうしなって自死が頭をかけめぐるときでも、その人自身にねむる底知れない情動を喚起する作品を描きたいとおもっている。

 自分はもうだめだと、もういいやと、あの人みたいにはなれないと、抱いた夢はかなわないと、そう言いながらも諦めきれずに目線を向けては憎しみと後悔を呟いてしまうひとびとを、また歩くしかないだろと、おまえのその目は二度と他のところには向けねえよと、おまえの脳は別の現実を受け入れられなくなっていると、だから足が折れても志が折れても人ではない何かになっても走り続けるしかないだろと、そういうことを言いたい。いつかはこの星の塵芥になって、砂塵の一粒になって何も残らないのなら、燃やすようにこの時間を生きるほかにないだろうと、そういうことを言いたい。それはきっと、具体的な誰かに言いたいのもあるし、そこから逃げようとするおれ自身に対して言いたい気持ちもある。

 おれの作品はおれのそういった哲学と結びついて、まだ燃やせる体が残っているのに膝折る人を、ふたたび死地へ追いやるためにあるのだとおもう。そうでありたい。死地へみずから赴くということは、理解されることを捨て、執着を捨て、向き合いたい対象へ一心にたちむかう、愛とも呼ぶべき貴い姿勢だとおもう。おれはそういう美学のために生きている。願いに呪われて、自分を呪って、もう美学の重力から二度と逃れられないならば、人から見れば悪魔であろうがこの上なく愛したいとおもっている。

 そういう論理とも言えない展開が頭を廻るとき、誰にも理解されないだろうなと思いながらも、しかしその対象と、誰にも明け渡せない関係を紡いでいて、おれがいつか塵芥になったとしても、おれが今水底にもぐるようにして得たこの心象だけはだれも奪い去れないだろうとひどく大事に大事に思う。そして、こうやって水底に沈むことそのものが、孤独を癒し、他人を気にする気持ちを洗い、おれをおれにさせてくれるのだとおもう。

 

 法外な力を得られれば、共感など通り越した先で、没入して、何も気にしなくていいようになるのだとおもっている。

 だからおれは作品をつくる。傍から見れば理解できなくて、破滅に向かっているようで、感動を失ったように見えたとしても、おれには確かに潜りたい先の風景がある。

 それが何であるか明確に伝えられるようになるのがいつになるかは分からないけれど、ただ今は、共感や理解でなく、発見と没入と繰り返したい。共感と理解は得たいものではなく他者へしめす手段として、発見と没入はおれがおれであるために必要な糧として。その先にしか道はないと、おれは常々おもっている。

日常の帳は急峻に降ちる

 「明日世界が終わっても、後悔しないように今を生きよう」というのは、『ひぐらしのなく頃に』における竜宮レナの言葉なのだけれど、これはおれが小学生の時分に知ったからか、あるいはおれの性分と相性がいいのか、どうにも青春の時から離さず離れず持ち歩いていることばのように思う。

 平坦にして平穏な日常はあるとき急激に終わる。
 終わることでさえ日常であるかのように訪れる終焉は、しかし慣れることのないものである。

 ともだちとの話が盛り上がって帰ってきたときに限って家の中でトラブルがおきていたりとか、完璧にやりきったと思っていたことが誰かに致命的な迷惑をかけていたりとか、宿題をやろうとしたら「宿題をやりなさい」と言われて気が萎んだりとか、学生としてモラトリアムを謳歌していたはずが気付けば成績や就職を考えなければならないとか、
 あるいは、突然にして災害が起きるとか、突然にして腕の一本が永劫動かなくなるとか、突然にしてだれかが目の前から去ってしまうとか、
 とかく、日常という名の湯船が、永遠であることを疑わず浸っていたら、急に湯船が一切合切冷水に代わってしまうような、まさしく寝耳に水といった出来事は、本当に急に起きてしまう。日常と終焉の境界は想像以上に薄いものである。

 ひとは日常の終わりに直面したとき、悲嘆に暮れたり、日常を取り戻すことに執着したり、もう無理だとすべて投げ出してしまうことがある。事実として存在するものを受け入れられず、焦って対策を打って、二次災害的に多くのものを失うこともある。あるいはすべての気力を喪い、昂ぶりを喪失することへの恐怖が拭えず、二度と立ち上がれなくなることもある。
 おれは、自分がそうなったときは一秒でも早く平静を取り戻そうと躍起になる。また、ひとが日常の終焉を受け入れられない様を見ていると、途轍もなくやるせない気持ちになる。

 終焉を「受け入れられない」という心境になってしまうのは、たいがいその人自身の認識の問題だとおもう。なぜなら終焉は事実として存在するものだから。ひとはいつか死ぬし、風景は錆びて朽ちるか取り壊されていくし、おれのこころの中でさえ、この瞬間を超えればまた形を変えていくものである。変わるということを、人間は変えることができない。
 事実を受け入れられないというのは心理として存在するだろうが、思い詰めるほどに現実はただ横たわるだけで、泣いても喚いても焦っても、喪われたものは戻りはしない。たとえ立ち直れないくらいの激情に駆られたとしても、即座に立ち上がってみせるくらいの気概が、この厳しく残酷な現実を生きるには必要だ。

 ただおれの場合、このような悲嘆を伴う終焉が訪れたとき、慰めや共感といった気持ちの整理で済ませるのは、どうにも好かない。
 これはどうしてだろう、おれはなぜ慰めや共感をきらうのだろうと考えてみると、おれは、慰めや共感をしたところで、喪われたものは戻らないし、明日を強く生きることも希望をもつこともできないと半ば強迫的かつ茫漠と考えている。おれがどれだけ足掻いても何も変わらない、ひとはいつか死ぬという結末は何も変わらないのにだ。

 ただ、結局は滅びゆく運命で、それがいつになるか分からないというのであれば、流れ星が自らを燃やして落ちていくように、おれも生きる時間を擦り減らしてでも、なにか執着をひとつでも取り去ったり、真理のひとつでも見つけてみたい、とか、そんなことを考えている。


 終焉に際して気を取り乱してしまうのは、日常がいつか終わることをイメージして日々を過ごしていないからだ、準備をしていないからだ、とおれは思っているし、おれはおれに対していつも警鐘を鳴らしている。
 そしてこの感情は、後ろめたい気持ちや喪失への恐怖だけではなく、青春の時を経て残った数少ない考えとしておれのなかに鎮座している。警鐘を鳴らして自分を奮い立たせるとき、おれは春先のなんともいえない肌寒さと陽気を、あるいは夏場のうだるようなしかし高揚する気分を思い出して、青春の心持ちにたちかえることができるのだ。
 わからないことを理解しようとしたりとか、未踏の出来事に足跡を残したいとか、そういった青春群像が蘇るような気持ちを、おれは竜宮レナの言葉を通していつも思い出せる。

 生き急いで構わないし、失ってばかりでも構わないから、死んだように生を消耗するのではなく、生きるために死に漸近することをえらびたいと、常におもう。それは結局、いつか終わるということを受け入れて生をまっとうしなければ得られない考えだと思っている。それがおれにとっての理想であり、真実であり、桃源郷だ。